10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
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窮乏ギリシャが蒸し返すナチス戦争賠償

新しい東方問題(3)複雑さを増す戦後賠償や金融問題

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/明治大学研究・知財戦略機構国際総合研究所特任教授
情報・テキスト
紀元前490年頃アテネで用いられていた4ドラクマ硬貨
現在、ギリシャ金融危機やウクライナ問題、イランの核開発問題などさまざまな問題に直面しているユーロ圏だが、この状況は19世紀の東方問題とは様相を異にする新しい東方問題の誕生と言える、と歴史学者・山内昌之氏は語る。シリーズ「新しい東方問題」第3回。
時間:10:39
収録日:2015/07/29
追加日:2015/08/27
紀元前490年頃アテネで用いられていた4ドラクマ硬貨
現在、ギリシャ金融危機やウクライナ問題、イランの核開発問題などさまざまな問題に直面しているユーロ圏だが、この状況は19世紀の東方問題とは様相を異にする新しい東方問題の誕生と言える、と歴史学者・山内昌之氏は語る。シリーズ「新しい東方問題」第3回。
時間:10:39
収録日:2015/07/29
追加日:2015/08/27
≪全文≫

●現代の債務返済機構と19世紀の債務管理局


 皆さん、こんにちは。

 ギリシャが借金を返すだけの国家、借金返済マシーンに事実上転落しているということについて前回お話ししましたが、ユーロ圏は、ギリシャにおいてこういう債務返還を確実ならしめるために、ギリシャの国有財算を処分していく、そうした債務返済機構を設けようとしています。これも合意の中に含まれたのです。

 この債務返済機構というユーロ圏の措置は、私たちが歴史の中で見る19世紀後半のオスマン債務管理局の仕事を連想させます。オスマン債務管理局とは、オスマン帝国、トルコの負債を確実にヨーロッパ諸国の債権者たちに返すためのものでした。債務返済にあたり、一番確実で取りっぱぐれがないのは、関税です。トルコの関税、輸出輸入税を全て債務管理局が押さえて、それを債権の回収として使っていった。こういう仕事をしたのが、オスマン債務管理局です。

 今もイスタンブールに行きますと、債務管理局が残っていまして、ちょうどイスタンブール旧市街のイラン総領事館、昔のイラン帝国の大使館だった所ですが、その大使館の通りを真っすぐ行きますと、同じ並びにオスマン債務管理局跡の立派な建物があります。私は見たことはないのですが、地下には巨大な金庫が今でも据え付けられたままだとされています。


●もともとの東方問題


 結局、今のこうしたギリシャ、それからウクライナ、あるいはイランという問題に共通する国際現象は、あえて申しますと、新しい東方問題の誕生と言えるかもしれません。

 東方問題というのは、もともと1820年代のギリシャ独立戦争を契機として、そのギリシャの独立を阻止しようとしたオスマン帝国、すなわちトルコに対してヨーロッパが干渉したことによって生じた外交問題の呼び方です。もっと具体的に申しますと、この問題をめぐり英仏が、ドイツはまだ統一していませんでしたが、ドイツの諸領邦が、あるいは、イタリアも統一前においてはイタリアの各諸国、こうした国々プラスロシアやオーストリアという大国が競争を行い、時には協調も済ませ、そして、時には同盟も結びながら、この局面を展開していったのです。こうした一連のギリシャ独立戦争以来のオスマン帝国の領土や外交をめぐる問題、これを包括する外交の概念が、東方問題と呼ばれたものであります。


●新しい東方問題にみる二つの変化


 ただし、大きく変わった点が二つあります。当時「ヨーロッパの病人」、“Sick man of Europe”という言葉が語られていました。ヨーロッパ外交やヨーロッパ経済がいかんともしがたい、手の施しようがないような病人が一人いる。これはトルコ、オスマン帝国だと言っていたのに、現在は、それはまさにギリシャになったということです。

 19世紀、後のドイツ帝国、統一ドイツの原動力になったプロイセン(プロシア)の首相であったオットー・フォン・ビスマルクは、東方問題に関心を持とうとしませんでした。それよりも大事なことは、ヨーロッパの中のこと、すなわちドイツ統一問題だというように考えていましたから、ビスマルクは、「東方問題はポンメルンの敵弾兵の骨一つに値しない」という有名なセリフを吐きました。ポンメルンというプロイセンの一地域の歩兵、それが戦って仮に戦死した場合、その骨の一つをかけるほどにも値しない。だから、そうした東方問題に関わらない、と言ったのが、ビスマルクだったのです。

 ところが、21世紀のビスマルクの...
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