●大きな権限を得たかったから、アメリカへ
藤森 アメリカの会社で働くことは、日本企業のアメリカ法人に勤めることとは大きく違うと思います。もともと私が、なぜGEのような企業に入りたかったかというと、日本の会社にいた時、同年代の人たちがよくアメリカの会社からやって来たのですが、彼らの姿を見て、うらやましいと思ったからです。彼らは大きな権限と責任を持ち、1人か2人で交渉しに来るのです。対する日本の会社はといえば、部長、次長、課長、係長がいて、MBAから帰ってきた私が一番下にいました。日本のようなヒエラルキー、格付けがある社会は、どうしてもアメリカ社会に比べてダイナミクスさに欠けるところがある。自分も大きな権限を与えられたい。それならグローバルな会社で働くしかないのではないかと思ったのです。
実際、その通りでした。アメリカの会社は、潜在力のある人に若い時から大きな権限と責任を与える仕組みがある。そこが日本と大きく違います。私が最初にGEで与えられた大きな仕事は、GEの医療機器部門のうち、五つに分かれたセクションの一つのCEOです。その当時、GEには11部門ありましたが、医療機器部門は重要なところでした。その中の一セクションのCEOの椅子を、思いきりよく30代の日本人に対して与えるわけです。これがアメリカの会社、グローバルカンパニーのダイナミクスさだと思いました。
―― 藤森さんがGEに入られて5年ほどたった頃というのは、GEが変わろうとしていた時期ですよね。
藤森 その通りです。私が働き始めた当時、GEの売上の80パーセントほどがアメリカで、アメリカ以外が20パーセントでした。現在は逆転していて、海外が60パーセント、アメリカが40パーセントくらいになっています。その頃は、ちょうどGEやアメリカ企業が、さらなる成長のため、グローバルにどんどん出て行こうとしていた時期でした。1990年代の初め、グローバリゼーションが始まりかけていたのです。
―― アメリカ企業の強さはその回復力にあると思います。1980年代、日本に押し込まれて危機感を持ち、90年代にぐっと回復していく強さが、日本とは全然違います。
藤森 人を育てることと、変革できるところがアメリカ企業の特徴でしょう。外界の条件が変われば、自分たちも変わることができる。リーダーとは何かといえば、変革を起こす人、そして人材を育成する人だと、ジャック・ウェルチがよく言っていました。思いきり人を育て、変革した結果が、90年代に日本が低迷期に入り、アメリカがガーンと伸びていった理由ではないかと思います。
―― そういうところに、藤森さんは引き寄せられたのですね。若い時に思いきり権限を与えてもらい、プレッシャーの中でチャレンジしたい、と。
藤森 私はいつも、ビジネス界のメジャーリーグはアメリカだと思うのです。すごい人たちが集まって戦っている場所で、結果が出ればアメリカンドリームをつかむことができる。リスクとリワードがどちらも大きい。そういう意味で、自分の力を試すには良い土俵ではないでしょうか。そこが魅力だと思います。
―― そういうプラットフォームは、世界にアメリカ以外ないですものね。
藤森 確かにそうです。ヨーロッパは近いと思いますが、ダイナミクスさはアメリカが一番ではないかと思います。
●アメリカの競争は、スポーツ感覚
―― 何事も前向きに考えてチャレンジすることが、藤森さんの体質にも合っていたのでしょうね。
藤森 そうだと思います。私はスポーツをしていましたが、アメリカで競争することは完璧にスポーツ感覚です。私はいつも、アメリカ社会をスポーツの世界に例えます。なぜかといえば、審判がいて、ルールブックがあり、そのルールに従ってきちんとスコアが出るようになっているからです。誰がどのようなプレイをしているかが分かるのです。公平なジャッジのもと、スコアブックに出た成績で全てが決まる。極めて単純なゲームになっているのです。
GEにいる25年間で感じてきたことですが、アメリカ社会は本当にスポーツ社会です。分からない人事はほとんどありません。なぜ自分が昇進するのか、いま自分がどういった状態にあるのかが見える。私はそうしたスポーツ感覚が好きなので、戦いやすい土俵なのではないかと思います。
●変革を求めていたからこそLIXILを選択
―― 藤森さんのような人は、貴重だと思います。GEのようなアメリカ企業で鍛えられ、経験値と知見と知恵を広げられてから日本企業に戻ってきた人は、初めてではないですか。
藤森 初めてかどうかは分かりませんが、数が少ないことは確かです。
―― そこで挑戦の場に選んだのは、なんと「LIXIL」というドメスティックな会社でした。
藤森 私はそこが面白...
(米国コネチカット州フェアフィールド)