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「シリアの春」を挫折させたのは外国の軍事干渉

中東の火種・シリア(1)なぜシリアの春は挫折したのか

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
『中東 新秩序の形成-「アラブの春」を超えて』(山内昌之著、NHK出版)
歴史学者・山内昌之氏は2016年1月、アラブ首長国連邦、トルクメニスタン、イランを訪問。そこで見聞した中東の現実を紹介しながら、複雑な上にも複雑にしているスンナ派とシーア派の宗派対立について解説。そして、「アラブの春」から5年、チュニジアから始まった変革の波の中、なぜ「シリアの春」は挫折したのか。山内氏が分析を加える。(全3話中第1話目)
時間:09:11
収録日:2016/02/10
追加日:2016/03/14
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≪全文≫

●国交断絶のイランとサウジ-一般市民の反応の違い


 皆さん、こんにちは。以前も申し上げましたように、私は、今年2016年の1月6日にドバイを経てトルクメニスタン、そして、イランに行ってまいりました。羽田に帰ってきたのは1月18日の午前0時を回っていました。かの地では、それぞれの大使館や総領事館を中心に、シリア戦争とイスラム国をめぐる中東の現状分析や、あるいは、慰安婦問題をめぐる日韓両国間の最終的かつ不可逆的な解決に関する東アジア情勢の変化について、講演してまいりました。

 そもそも出発直前の1月2日に、サウジアラビア政府がシーア派の宗教指導者ニムル・アル・ニムルを処刑したことに始まり、イラン人による在テヘランのサウジアラビア大使館、そして、マシュハドの領事館に対する焼き討ち、次いで、サウジアラビアによるイランとの国交断絶宣言など、すこぶる慌ただしい正月の出張でありました。その上、イランなどに滞在中、イスタンブール、ジャカルタ、ワガドゥグ(ブルキナファソの首都)といった都市でのテロ事件が相次ぎ、イスラムとテロリズムとの関係について、今改めて自問自答する毎日を過ごしています。

 特にイランにおきましては、首都のテヘラン以外に、サファヴィー朝の首都であったエスファハーン、そして、アケメネス朝の古都でペルセポリスに近い町であるシーラーズといった中央都市を回り、サウジアラビアとの断交について市民の反響なども探ってきました。こうした点で、イランの市民が相変わらず非常にリアルな感覚で事態を冷静に見ている反面、サウジアラビアの方ではかなり感情がヒートアップして、イランに対する強硬姿勢を少なくとも言葉の上ではますます強める一方であったことは、対照的でした。


●一枚岩ではないシーア派-二人の指導者にみる温度差


 もっともシーア派といっても一枚岩ではなく、イランの名実ともに憲法に定められた最高指導者のセイエド・アリー・ハメネイ師と、シーア派の住民が多数を占めかつ現在の中央政府を掌握しているイラクのシーア派とでは、温度差があります。イラクの場合には、アラビア語を話すシーア派という点、また、シーア派アラブという独特な立場もありますが、イラクの聖地ナジャフにいる大アーヤトッラー、すなわち、アーヤトッラー・アル=ウズマーと呼ばれるシーア派の最も高位で高級聖職指導者の一人、アリ・シスターニーという人物がおり、このシスターニーとハメネイとの間に温度差があるということは、指摘しておかなければなりません。

 こうしたことは、やはり日本にいるときだけで考えますと、ついシーア派が一枚岩であるかのような印象を持ちがちです。そうしたイランの強い威信や強い国力を背景にした場合、それはあながち間違っているわけではありませんが、シーア派という宗教の分派の内部において申しますと、やはり湾岸やイランといった現地に出かけることによって、シーア派のよりリアルな現在像というものが浮かび上がってきたわけです。


●イラクのシーア派最高峰・シスターニーの見解


 シスターニーは、同じアラブの人間としてサウジアラビアを直接攻撃するよりも、スンナ派のアルカイダと目されたサウジアラビア国籍の人々を中心とした47人の被処刑者(処刑された人物)たちの家族に、弔意を表しました。世界最大のシーア派大国であるイランの最高指導者のハメネイと違って、シスターニーは、自分をイラク、ひいてはイラクのシーア派の特別な守護者と位置付けたことはありません。それどころか、スンナ派の聖跡、あるいは、象徴を傷つけてはならないと、一貫して説教することによって、スンナ派アラブとの調和や妥協を模索するという姿勢も持っていました。

 しかしながら、同時に「アラブの春」がもたらした革命運動に対しては、大変厳しい批判を隠していません。こうしたIS(イスラム国)やアルカイダに象徴されるような、あるいは、一般の民衆運動におけるスンナ派の先導性、または先導的な一面が、極悪の犯罪を生んだ宗派主義の根源だというのです。すなわち、シスターニーは、ここでISを非常に厳しく批判しているわけです。


●武力衝突から内戦へ-中東の春を挫いた軍事干渉


 それにしても、「アラブの春」と呼ばれた現象は一体どこへ行ったのでしょうか。本年(2016年)の1月は、アラブの春からちょうど5周年に当たります。2011年にチュニジアから始まった変革が、1968年に東ヨーロッパのチェコスロバキアで起こった「プラハの春」のひそみにならって「アラブの春」と呼ばれたのは、さほど遠い過去の話ではありません。

 変革の波はチュニジアからエジプトに波及すると、公権力の抑圧にも増して、市民同士の対立も激しくなりました。しかし、リビア、イエメン、そして、シリアに民...
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