●はかばかしく進まなかった「ジュネーブ3」交渉
皆さん、こんにちは。前回に引き続いて、シリア問題の終結のために招集されたジュネーブ会議の協議(「ジュネーブ3」)のプロセスについてお話ししてみたいと思います。
率直に言って、このジュネーブ3の協議は、はかばかしくありません。当然のことです。アメリカやヨーロッパから「穏健派反対政府勢力」と呼ばれる人々が「最高交渉委員会」というブロックをつくって会議に参加したのですが、彼らにすれば交渉するべき相手がバッシャール・アル=アサドであることが理屈に合わないからです。
アサド大統領は、25万人以上のシリア自国民を死に追いやり、多くの難民をヨーロッパに放逐している現状にも、恬として恥じる様子がありません。そして、一方ではロシアの「てこ入れ」と、アメリカの傍観と言えるほどの「無関心」によってアサド体制は蘇生したことになります。
こうしたアサド体制に対する反発から始まったのが「シリアの春」であり、シリア内戦につながっていったことを考えると、ここでアサド体制の存続を前提とするような交渉は、政治的な自殺行為を意味しかねません。
●シリア問題はロシアとイランに委ねられるのか
スンナ派アラブのリーダーであるサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国や、非アラブではあっても同じスンナ派での大国であるトルコは、たとえ暫定政権とはいえ、アサドその人が残ることを認めたくないという立場を明確にしています。
それにもかかわらず、ジュネーブ3の調停者である国連のステファン・デミストゥラ特別代表が果たした仕事は、ロシアとイランというシリアの内政、政治過程に現実的に最も強い力と既成事実をつくった二つの国が、調停について前提条件をつくったという事実を受け入れ、そのリアルな現実を白日の下にさらしたというだけです。このことは、国際世論、とりわけ中東の行く末に関心を持つ人々の感情を、卑俗な日本語で言えば「しらけさせた」面がありました。
アメリカとフランスは、2015年9月のロシア軍介入以降、11月のパリの大テロを機に、イスラム国(IS)と本格対決するために、アサドに宥和的な態度を示すようになりました。これは、アサドを「最大の犯罪者」と考えるスンナ派アラブの大勢に背を向けたことであり、シリア問題の交渉の主導権をロシアとイランに委ねたに等しい結果となりました。
オバマは、実際上壊れてしまった国民国家シリアにおけるロシアの役割増大をやむなしと認めているのが現状です。米欧と国連特別代表のデミストゥラの立場は、誰がシリア問題で一番リアルにレバレッジ(てこ)を効かせているかという現実に立ち、ロシアとイランの役割を是認している点が特徴であり、関係者たちに共通する点です。
●シリア問題解決への気長な方針と事実上のアサド容認
さて、2015年10月30日と11月14日に開かれたシリア問題に関するウィーン会議は、それぞれロシアの空爆開始とパリの大テロ(ISによるパリの同時多発テロ)に触発されたことは言うまでもありません。今やオバマにとって主要な関心は、いかにISを殲滅させるかという点に移り、アサド政権の消滅によるシリアの民主化という理想は色あせてきたわけです。「アラブの春」を「プラハの春」と並べてたたえた米欧の、かつてのこだわりは、もはや失われたかの感があります。
2015年11月のウィーン会議で達成されたのは、「2017年にシリア問題解決を終了させよう」という非常に気長で、のんびりしたロードマップづくりでした。その後、アメリカのジョン・ケリー国務長官は、ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外務大臣を12月中旬にニューヨークへ招きました。そして、国連安全保障理事会のシリア問題決議案に、ロシアの原案を大幅に取り入れることに同意しました。
すなわち、アサド体制の事実上の容認につながります。こうしたケリー国務長官の考えは、中東におけるアメリカの古い同盟国であるサウジアラビアとトルコからは、もちろん強い反発を買いました。
●アサドのいる暫定政府か、いない暫定政府か
こうして成立した国連安保理決議2254号(2254)は、シリア問題の外交協議に新しい弾みを与えたにせよ、シリアの反政府勢力がこれまで達成してきたアサド政権に対する抵抗の成果を台無しにしかねない妥協でした。それは、アメリカの原則や原理は何かという深刻な疑問を、関係諸国、特にシリアの反政府勢力やトルコ、サウジアラビアなどに抱かせたからです。
問題の焦点は、新たにつくられる政府、選挙が終わるまでシリアを暫定的に統治することになる政府に絞られます。「アサドのいる暫定政府」なのか、「アサドのいない暫定政府」なのかということです。
ロシアやイランは、...