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「美しい友情の始まり」はイラン民主主義に結実するのか?

イランのダブル選挙(4)国民が発信したシグナル

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
映画『カサブランカ』(1942年)
明治大学特任教授・山内昌之氏が2月に行われたイランの選挙について、投票率の数字だけでは読み取れない、イラン国民の政治体制に対する隠されたメッセージについて解説する。これはイラン民主主義の将来を見据えた歴史的分析である。(全4話中最終話)
時間:09:14
収録日:2016/03/02
追加日:2016/04/11
カテゴリー:
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≪全文≫

●軽視できない国民の社会的理性


 皆さん、こんにちは。今日は、イランの選挙のプロセスと結果についての私の分析の最終章になります。

 イランの現大統領、ハッサン・ローハニは、これまで行われてきた選挙と同じように、やはりある種の限界を持った大統領であることは、申すまでもないわけです。つまり、イランにおける選挙とは、民衆の異議申し立てを巧妙に使う。あるいは、不満を感じる民衆や有権者たちが、現在のイスラム政治体制が与えている枠組みや選択肢の中で、それなりに民主的な装いと手続きによって、何を選ぶのか。もしくは、このイスラム政治体制の中でどのように新しい息を継ぐのか。さもなければ、そういう枠組みを壊さない指導者を選ぶのか。言ってしまいますと、ローハニは、こうしたイラン政治で働いてきた社会的な理性や政治的な判断力を非常にクレバーに使って当選した大統領だということになるのです。そして、イランにおいては、今のイスラム政治体制という枠組みがある限り、こうした基本的な抑止力や自己規制が働かざるを得ない構造になっている。ここにイラン政治の特徴があるのです。


●投票した者としなかった者の間にある弁証法


 一見すると、メディアで報道されているような改革穏健派対保守強硬派という二項対立や二つの対比関係は重要に思われますが、イランの政治で重要なファクターを隠しています。それは、何よりも歴史的に中東きっての非常に長い伝統を持ち、文明論的に高い自負心を持つイラン人の、ある重要な政治における一種の弁証法を隠すことになっているということです。弁証法、すなわち、相対立する構図、対立はしているけれども、その対立の中から一つ新しいものが生まれるという構造が、ヘーゲル以来の弁証法の構造です。

 つまり、このイランの弁証法の構造とは何かというと、最初の話に戻りますが、私の考えでは、投票した者としなかった者、投票する者としない者との間の弁証法です。投票した人も、イランにおける民主主義の存在や、民主主義的に機能するとは到底思っていないイラン・イスラム政治体制に、全幅の信頼を置いているわけではない。しかしながら、彼らはあるメッセージを、イラン国内だけではなく、イラン国民として世界に発信したいという思惑が、彼らを投票に走らせたということです。


●選挙を通じて世界に発信された二種類のメッセージ


 それは、チェスでも囲碁でも何でもいいのですが、例えばチェスというゲームをするときに、自分たちは、チェスのプレイヤーとして相手と戦っている。この相手とは、言ってしまえば保守強硬派、あるいは、アリー・ハーメネイのような非常に古い対局相手なわけです。もうずっと手も打ち尽くして知っている。定石も分かっている。こちらがどうすれば、相手は何をやってくるか。それは分かっているけれども、しかし、そういう人間たちやグループと自分たちはまだ対局をし、そこで勝ちを少しでも収めていこうとする能力があるということを示したい。つまり、イランの国民は、そういったある種の健全な民主主義的な国民であり、自由に意思を表現する能力を持った国民だということを、世界に向かって発信したい。こういう彼ら独特の文明論的な自負心があるのです。

 では、投票しなかった人たちはどうか、ということになります。彼らは逆に、世界に向かって、自分たちが投票しないこと――つまり、それは、自分たちの意思として積極的に投票しないということを示すことと、選挙資格が制限され、被選挙資格が奪われている人たちも含めて選挙をしなかった、正確に言うと、できなかった、ということを示すことと、二つがありますが――それによって、今のイスラム政治体制が持っている政治的な後進性、ときには暴力や野蛮さをもって選挙にも干渉するといった体制を国際的に発信し、シグナルとして出す。これが、彼らが選挙に参加しなかったある種のメッセージになっているということがあるわけです。


●共通項は自国政府にも外国にもノーと言える政治的自負


 しかしながら、あえて、イラン国民の聡明さ、ある意味の賢さという点で言えば、この投票した者、しなかった者の双方に共通しているところがあるのです。それは何かといいますと、究極的に言えばこういうことです。つまり、国内においてしばしば国民を抑圧し、国民の権利を奪い、自らの特権にあぐらをかき利権を獲得することに寧日のいとまもないイスラム政治体制のエリートであるシーア派の宗教指導者たち、こうした者たちと外国の人々がいます。外国人もまた、いい外国人ばかりではない。当然、湾岸戦争やイラク戦争をやったようなアメリカやヨーロッパのネオコン(ネオコンサバティブ)のような存在、経済的に言えば、ネオリベラリストのように、競争至上主義で地場の産業を壊し、イランの伝統を...
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