●「不可能な革命」に向けた「最低のテロ蜂起」
皆さん、こんにちは。今日は引き続き、トルコの一番長い夜に起きたクーデター未遂、武装蜂起事件について、最後のまとめを行ってみたいと思います。
今回の国防軍の中から生じた未熟な反乱軍は、すこぶる古典的な20世紀の軍事マニュアル、さらにいえばクーデターの教則本のイメージや手法に拘泥したあまり、21世紀の革新された通信技術や市民の政治意思に負けた点が特徴です。この反乱軍は、1970年代の古い戦術レベルを用いた「最低のテロ蜂起」を起こしたということになります。
1960年、71年、80年のクーデターにおいては参謀長を頂点とした軍の統一意思があり、陸海空にジャンダルマ(憲兵)を加えた4軍が機能しました。これらが統一された指揮の下に整然と政権奪取に動いたわけです。政変を革命に高めていくためのこのような目標や理念を欠いていたのが、今回の特徴です。あえて比喩的に申しますと、これは「不可能な革命(Impossible Revolution)」ともいうべきものであったということです。
●今世紀型の政変手法も提起できない無意味な決起
イスタンブール空港やボスポラス大橋を押さえ、アンカラの国会や参謀本部の一部を押さえたのは20世紀の古典的政変戦術でした。しかし、トルコの3回のクーデターにおいては、一般市民や民間人を犠牲にするようなことは最小限に抑えられました、ましてや、面と向かって発砲したり、国会の一部を爆撃したりするような行為はなかったのです。しかも今回は、保養地にいたエルドアン氏や他の公正発展党(AKP)の首脳たちの身柄を押さえるという基本的なこともできなかったわけです。
今日、一番重要なのは何かというと、20世紀とは異なる通信体制があまりにも進化していることです。民間テレビ局もたくさんできています。携帯電話をはじめとするソーシャル・ネットワーク・システムも発達しています。このような民間放送局やソーシャル・ネットワーク・システムを使用不能にする試みは、全く行われませんでした。すなわち、彼らは21世紀型の政変手法を新たに提起したわけでもなく、全くの無意味・無内容な決起に終始したのです。
●弾圧していたメディアがエルドアン氏を救った
もともとエルドアン氏は、有力な新聞である『ザマン(時)』紙を閉鎖に追い込んだり、政権に批判的な電子ネットワークを弾圧したりすることで知られていた人物です。しかし今回、彼の政治生命を救ったのは皮肉なことに各種メディアでした。テレビ局のリポーターがビデオ通話アプリの「フェイスタイム」をスマートフォンにつなぐことで、CNNトルコ経由の全国放送の生番組がつくられ、生のエルドアン氏の顔と声を通して、8000万人の人民に大統領のメッセージを伝えることに成功したからです。
前首相、前大統領、そして現首相のビナリ・ユルドゥルム氏も、ツイッターやフェイスタイムを使って、反乱軍への抵抗を呼び掛けました。こうした点は政治家としての面目躍如であり、大変な美談あるいは勇気とも記憶されるでしょう。
エルドアン氏もまた、最新コミュニケーション技術の威力を改めて思い知ったことでしょう。しかし、彼がこの恩を感じて、フェイスブックやツイッターを通した多彩な意見表明や批判に、これから寛容になることは、想像力を駆使しても考えられません。
むしろ事態は逆なものになるでしょう。これまでの政治手法に照らせば、反乱後の大統領はよりコミュニケーション技術に対する規制を強め、最新のフェイスブックやツイッターに対する警戒心を強める可能性が高いかと思われます。今回の事件への報復として、死刑制度を復活させるという声さえもささやかれています。
●今回の事変はコミュニケーション革命の一つの頂点
いずれにせよ、今回の事件が示した、ツイッターやフェイスタイムのような新しいアプリ技術は、これまでの世界史に照らした場合、大変重要なことをわれわれに思い起こさせます。
例えば、16世紀のルターがローマ・カトリックに対抗したことです。彼はドイツ語に訳した聖書を、グーテンベルクの印刷技術を活用して大量に出版し、カトリック一色だった当時のキリスト教信者たち、すなわちヨーロッパ各国の国民たちの考え方を刷新しました。
このことに始まった印刷技術や通信技術の革命、すなわちコミュニケーション革命の一つの大きな頂点を、今回われわれは見る思いがしたのです。
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