10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
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人間、最初から幸せな人などどこにもいない

人生の転機で学んだこと(1)幸せは努力の量に比例する

下村博文
衆議院議員/元文部科学大臣
情報・テキスト
羽生結弦選手(フィギュアスケート、2010年ロシア杯にて)
文部科学大臣下村博文氏の政治家としての第一歩は、都議会選挙落選という形だった。落選に続いて周囲の人も離れていくという挫折の連続から得たものは?下村氏が人生の大きな転換期で得た教訓を、自らの経験を通して語る。
時間:09:33
収録日:2014/02/21
追加日:2014/04/24
羽生結弦選手(フィギュアスケート、2010年ロシア杯にて)
文部科学大臣下村博文氏の政治家としての第一歩は、都議会選挙落選という形だった。落選に続いて周囲の人も離れていくという挫折の連続から得たものは?下村氏が人生の大きな転換期で得た教訓を、自らの経験を通して語る。
時間:09:33
収録日:2014/02/21
追加日:2014/04/24
≪全文≫

●初めての選挙で奮闘の末に落選


---- 下村先生と私どもの共通の先生で行徳哲男先生という方がいらっしゃいます。この方は世間的には無名かもしれないですが、本物の実践哲学者というか、人の魂に感動を呼び起こさせる方です。下村先生と行徳先生の出会いは、どのような感じだったのでしょうか。

下村 行徳先生は、日本BE研究所を経営されています。私は31歳のときに、一度目の都議会議員選挙に出て落選したのです。もともと出身は群馬で、早稲田大学に入って、初めて下宿したところが、板橋だったのです。
その板橋で学生時代に学習塾を始めて、それが自分の選挙地盤になったわけで、31歳のときに選挙に出たのですが、当時は今のような時代と違って、地盤、看板、カバン、つまり、それなりの選挙資金、それなりの組織、それから知名度、これが無いとなかなか当選するのは難しかったのです。風など当時あまりありませんでしたから。

---- 世の中がかなりしっかりしていたわけですね。

下村 そうですね。ですから、「どこの馬の骨か分からないようなやつをなんで応援するのか」といった具合で、後援会どころか、それはもう厳しい選挙でした。
うちの家内は当時26歳で若かったわけですけれども、私も個別訪問、家内も個別訪問、と一軒一軒まわりました。
当時は地縁もありませんから、軒並みまわっていったのです。そうしたら、たまたま他の現職都議会議員の後援会の大幹部のところに当たったらしくて、そこで2時間ぐらい雨の中、傘もささずに説教されました。そういうことが積み重なって急性肝炎で倒れ、入院をしました。ですから、選挙期間中は入院していたのです。

●落選の挫折から得た学び-他者に対する感性、感覚の重要性


下村 それから、1回目の選挙で落選したとき、経営していた塾の教職員が全部で100人ぐらいいたのです。

---- かなり大規模な塾だったのですね。

下村 はい、もう結構大規模だったのですが、半分ぐらいの先生が辞めてしまったのです。
残った先生からも、「塾長は、もう塾に来なくていいから、山にこもって滝にでも打たれていたほうがいいのではないか」などと言われたぐらいでした。
私は、世のため人のために政治家になりたいと思ったのに、「一将功成りて万骨枯る」という言葉がありますが、結果的にまわりを犠牲にして、自分がただ都議会議員になりたいと思っただけなのかという思いももって、それで行徳先生がやっているBE研究所の山ごもりに参加しました。それが先生との出会いなのです。
そこで、行徳先生に殴られまして。あそこはみんな殴るのですが。要するに頭でっかちではなくて、自分の感性、感覚を大切にしろ、理屈を頭で考えるのではなく、直感力とか、そういう感性をいかに研ぎ澄ませるかが大事だということを教えられたわけです。たしかにそういう意味では、頭でっかちで、人に対する思いやりとか、その人の立場に立って考える感性や感覚といったものに欠けていたのです。私の家内や、塾の先生方、あるいはまわりの応援してくれる人たちに対して、「自分は世の中をよくしていくために都議会議員に立候補しているのだから、応援するのは当然だ」と、どこかそのような不遜な気持ちがやはりあったのだな、ということに気付かされて、非常にいい出会いになりました。

●挫折、失敗の積み重ねが成功、幸福につながる



---- なるほど。そこから30年にわたって行徳先生とずっとお付き合いされているわけですね。
そして、...
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