●2022年から始まる新科目「歴史総合」に向けて
昨年(2015年)の8月15日、安倍談話がありました。あれは内閣総理大臣の談話ですが、それを作成するための有識者会議があり、私も一応そのメンバーになっていました。その時の有識者会議で、あることが提言されました。それは、総理の談話そのものには直接関係はありませんが、その提言された枠の外には、総理としてもなかなか出られないというくらいのものだと、私は思っています。
そこでいくつか提言されたことの中に、「若い人たちに、近現代の歴史をきちんと分かってもらわなければ駄目だ」という提言がありました。ここはもう「あうんの呼吸」としか言いようがありませんが、この提言を文部科学省が受け止めて、そこから「歴史総合」という科目の検討会が始まりました。今はもうありませんが、大学の関係者による非常に小さなインナーの会議があり、最初の立ち上げに際して少し議論をした時、私も含めて何人かのメンバーがいました。
ということで、この教科(「歴史総合」)は2022年から始まります。まだ6年先で、教科書を書くのはもちろんいろいろな出版社が歴史の先生とチームを組んで書いてもらうのでしょうが、そのガイドラインが一応ここでできました。別に私に義務はないのですが、「少なくとも私だったらこういうふうな歴史を書きますね」といったシリーズのレクチャーのようなことをどこかでやってみようかなと考えています。ですから必ずしも、そこで言われている内容と同じことにはならないと思います。
●過去200年からアジアと日本を考える
私は過去200年ほど、つまり19世紀の1810年代ぐらいから見ると、世界の歴史もアジアの歴史も日本の歴史も、それなりにひとまとまりのものとして理解できるのではないかと考えています。そういうものであったらやってみようかなと、考えています。
アジアについては、それほど新たに勉強しなくても、過去200年ぐらいのことは4~5回分の講義を話すくらいの内容は大体頭に入っています。ですが、ヨーロッパやアメリカ、ましてやラテンアメリカ、アフリカ、中東のことになると、かなりあやふやなところもあります。ただ、私としてはやってみてもいいのかなと考えています。4~5人で、少しずつ違う角度からこういう講義をやってみるのは、日本の一般の読者にとっても知的で面白いでしょうし、チャレンジになると思います。
●政治的リーダーシップは「何をやるか」より「どうやるか」
(ところで)先日、アジア開発銀行(アジ銀)で国際顧問会議がありました。私はアジ銀の活動についてよく分かっているわけではないのですが、私も一応招聘(しょうへい)されました。そこで議論していたメンバーの中に、インドネシアのユドヨノ政権(2期目)で財務大臣をやったハティブ・バスリ氏がいました。
彼はインドネシア大学経済学部の教授です。その彼が、こう言っていました。「経済政策といって何をやるべきかは大体分かっている。分からないのは、どうやってやるかだ」と。特にインドネシアのような大統領制の下だと、大統領の任期が5年と決まっていて、2期目に入るとあと5年でもう次はないことが分かっているから、その5年を超えて次の人の功績になるようなことをやりたいというインセンティブが、ほとんどない、といったことを話していました。
「そこでどうやって大統領を説得して、やるべきことをやるのか。どうやってそれをロックインするのか」が、「何をやるべきか」ということよりもはるかに重要であると言っていました。本当にその通りだと思いました。
この人はまだ50歳ぐらいですが、ものすごく優秀な人です。ですからやっぱり、エコノミストでこうした政治が分かっているということで、このコンビネーションは素晴らしいですね。
私も内閣府に常勤で2年おりましたけれど、あの時に痛感したのは、「政策の中身は全部分かっているので、やれるかどうかが問題だ」ということです。最近、政治とはそういうことなのだなと思いました。非常に単純化すると、政治的リーダーシップとはそういうことである、と。
●危機感があった時代
(日本は)経済が停滞していると言っても、まだそこまで生活が悪くなっていません。逆に言うと、社会的あるいは国民的なレベルで「政府が何とかしろ」という雰囲気には、なかなかなりにくいわけです。
そういった雰囲気があった時期はいつごろかと振り返ってみると、1997年から1998年頃に金融危機があり、小泉純一郎さんが出てきて小泉改革をやりました。あの時にかなり危機感が高まりました。そうやって1990年代の不良債権などの処理をやっと終えたということはありましたが、その後(そういった大きな危機感を感じるようなこと)はありません。
ここから先は分かりませんが、...