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坂本龍馬の名言「日本を洗濯」とは、暴力も辞さない過激さ

ほんものの坂本龍馬(2)龍馬の「洗濯」の激しさ

松浦光修
皇學館大学 文学部国史学科教授
情報・テキスト
『馬關戰争圖』(部分) 藤島常興 筆、下関市市立長府博物館 収蔵
wikimedia commons
坂本龍馬が人気なのは、彼の生きざまが戦後日本の民主主義や平和主義に合うように見えるからだ。だが実態は違う。龍馬は「平和主義者」どころではなく、日本の政治改革のために暴力すら辞さない思いで、時代に臨んでいた。皇學館大学国史学科教授・松浦光修氏が、あの有名な龍馬の、名句の真意を読み解く。(全10話中第2話)
時間:17:25
収録日:2015/11/28
追加日:2016/11/29
≪全文≫

●なぜ戦後日本で龍馬人気が上昇したか


 幕末の人物で今でも一番有名なのは、坂本龍馬でしょう。上智大学の渡部昇一先生は、「戦前よりも戦後に一層有名になったのは坂本龍馬くらいのもの」(『日本史百人一首』)と書いていますが、多分その通りでしょう。それでは、いったい戦後の日本で、なぜ龍馬さんだけが、それほどの人気が出たのでしょうか。

 戦後の日本では、まずは司馬遼太郎の小説によって龍馬ブームが起こります。この小説は、昭和37(1962)年から41(1966)年にかけて産経新聞に連載され、爆発的に読まれるようになりました。その連載終了の2年後には、もうNHKの大河ドラマ『竜馬がゆく』が放送されています。このときの主演は、北大路欣也でした。それから半世紀、龍馬本は数限りなく出版され、漫画、アニメ、ゲームにも登場し、高知には資料館もできました。龍馬関係のグッズも無数にあります。

 今はどうか知りませんが、NHKの『龍馬伝』の放送中は、京都の龍馬のお墓には、なんと行列ができていたそうです。これは、実際に私の大学の女子学生が報告してくれたことです。「行列のできるお墓」というのは、あまり聞いたことはありません。龍馬さんのお墓のある霊山勧修坊には1,000人以上の志士たちの墓が並んでいるのですが、「龍馬さんのお墓にお参りすると、皆トットと帰って行った」と、その女子学生は報告してくれました。他の志士たちが気の毒ではないか、と言いたいところです。

 国のため一身を犠牲にしたところは、皆同じはずです。しかし、いつの世も人の世というのは、そういうものかもしれません。先ほど申し上げた通り、世の中というのは“移ろいやすい”ものです。こうして見てくると、龍馬さんに対する高い好感度は、今や反日自虐史観の人々以外には、定着していると言っていいでしょう。


●現代人に好かれる龍馬は「正しい」龍馬か


 しかし、その好感度が、本当に龍馬さんを理解した上での、正しい好感度なのかというと、疑問があります。この好感度の主な要素は、私が見るところ、こういうことです。龍馬さんは、戦後の日本という時代を先取りしたかのような「民主主義者」であって、「平和主義者」である。それが主な要素だと思います。しかしそれは、いわば現代という時代の空気に沿って、龍馬さんを切り貼りし、合成したものではないかと思います。ですから、その実像とは、かなりかけ離れています。現代人は、その“切り貼りした龍馬像”を、等身大の龍馬さんだ、と思い込んでいるに過ぎない。

 NHKの『龍馬伝』には、特にその傾向が強かったと思います。あのドラマの残念なところを思い出すと、いろいろあるのですが、例えば吉田松陰の描き方です。あんまりではないかと思いました。

 『龍馬伝』では、生瀬勝久という役者が松陰さんを演じています。その松陰さんが「僕はアメリカに行きたいんだ」と言って、弟子の金子重之輔さんと、海岸で小舟を前にして、お互いにビンタを張って気合を入れている、という場面があります。アントニオ猪木のようでしたが、あんなことは絶対にありません。もちろん、あの現場に龍馬がいたはずもありません。それはテレビですから、“面白くするための作り話”として笑って済ませていいのだと思います。しかしテレビの『龍馬伝』を見ていて私が思ったのは、テレビをつくっている人たちは、多分龍馬の“考え方のスジ”がほとんど分からず、行き当たりばったりで、ドラマをつくっていったのではないか、という点です。

 テレビ業界の人々の時代劇をつくる能力は、ひどく落ちているように思います。“日本人としての常識”がない人々が、制作に携わっている場合があります。時代考証として、学者の名前がドラマに出ていますが、実はドラマの中身に口を出す権利は、ほとんどないそうです。

 テレビの龍馬でいうと、あの時の龍馬が、しょっちゅう周りの人に「けんかはいかんぜよ」などと言っていました。「けんかで世の中が変わるとは、おもちゅうせんけんのう」というセリフもありました。それだけを見ていると、龍馬さんがまるで戦後の学校の日教組の先生から褒められる“クラス委員長”のように見えます。しかし、龍馬さんは果たして本当に、そういうタイプの、“脳内お花畑”の「平和主義者」だったのか。


●龍馬は凡庸な「平和主義者」などではない


 これは文久3年、長州藩が外国船を砲撃し、いわゆる攘夷戦(下関戦争)に乗り出した頃の龍馬さんの発言を記録したものです。原文は後でお読みいただくとして、現代語訳で読んでいきます。

 「今、日本の政治情勢を考えると、このまま行けば長州藩は、最後には欧米の植民地にされてしまうかもしれません。もしもそうなったら、二度とそれ...
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