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敬神尊王の坂本龍馬ゆえに感じた天の逆矛のインチキ臭さ

ほんものの坂本龍馬(3)「敬神尊王」の精神

松浦光修
皇學館大学 文学部国史学科教授
情報・テキスト
龍馬の手紙(京都国立博物館蔵)
慶応2年(1866年)12月4日付乙女宛 重要文化財
wikimedia commons
坂本龍馬は、現代では決して描かれないような「敬神尊王」の人だった。高千穂峰の「天の逆矛」を妻・おりょうと引き抜いたエピソードは、彼が“神を畏れなかった”のではなく、神を敬うがゆえの行動だった。皇學館大学国史学科教授・松浦光修氏が、現代日本では描かれることのない龍馬の本質を語る。(全10話中第3話)
時間:10:18
収録日:2015/11/28
追加日:2016/12/02
≪全文≫

●坂本龍馬は「敬神尊王」の人だった


 次に、龍馬さんは、神様や皇室を大事にしていた、というお話をします。神様や皇室をとても大切にしていた人で、そのことは、これまでテレビや小説でしか、龍馬さんを知らなかった人にとっては、意外なことでしょうが、実際は、意外なことではないのです。

 先ほど読んだ手紙にも、すでにそういう考え方が表れています。原文の1行目にはこう書いてあります。

 「朝廷より、まず神州を保つの大本を立て」

現代語訳で言うと、「京都にいらっしゃる天皇のもとにある朝廷から、まずは神の国である日本を維持する基本政策を発表し」ということになります。日本の政治の中心は朝廷、天皇である。日本は神様の国である。龍馬さんがこのように考えていたことが分かります。

 それから「日本を今一度せんたく・・・」というあの言葉の後にも、こうあります。「神願にて候」、つまり、「神様にお願いしている」と言っているわけですね。つまり、このひと続きの文章の意味は、「日本をもう一度洗濯したいということを、私は神様にお願いしています」ということなのです。ここからも、龍馬さんが神様を、とても大切なものと考えていた人だったということが分かります。

 それから、龍馬さんが皇室のことも、何よりも大切なもの、と考えていたということは、親友の母への手紙に出てきます。ここも資料を挙げておきました。

 「京都の朝廷というものは、土佐藩よりも父母よりも大切にしなければならないというのは、日本人なら決まりきった話である」

 これは、池内蔵太の、お母さんに宛てた手紙の一文です。

 朝廷を何よりも大切に思う心、それを幕末の頃の人々は「尊王」と言っていました。「尊王攘夷」という言葉は、高校の教科書にも出てくる言葉ですからよく知られていると思いますが、幕末の志士という志士で、尊王でなかった人はいません。つまり龍馬さんも、尊王の人だった。

 神様を敬い、皇室を尊ぶ。一言で言えば、龍馬さんは“敬神尊王の人”です。龍馬さんのその敬神の心については、有名な薩長同盟の「裏書き」からも分かります。薩長同盟は高校の教科書にも出てくるのでご存知かと思いますが、慶応2(1866)年、龍馬さんが32歳の時、それまで犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩が手を結びます。もちろん最終的には倒幕のためです。

 龍馬さんがやった大きな仕事と言えば、この薩長同盟の仲を取り持ったこと、そしてその翌年、土佐藩を通じて大政奉還の建白をしたことの二つが挙げられます。その一つである薩長同盟が結ばれた時、龍馬さんは、「こういうことを約束した」という裏書、いわば同盟の承認の一文を書いて、サインしています。“こういう約束が結ばれたことを、私が保証する”ということですね。

 その手紙の最後にこういう一文があります。

 「いささかも間違いはありません。今後も決してここに書かれていることに背くようなことがないということは、神様もご存知のところです」

 「神様もご存知のところです」というのが、大事なところです。今でもアメリカでは、新しい大統領が就任する時、その就任式でキリスト教の「聖書」に手を置いて神様に誓いを立てていますが、日本でも昔は、大事な約束をするときは、神様の前で誓いを立てていた、ということが分かります。


●龍馬が「天の逆矛」を引き抜いたのは「神を恐れなかった」からではない


 ところがテレビや小説では、龍馬さんが神様を大事にし...
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