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大病と大震災で個人の再生と政治家の使命に目覚める

人生の転機で学んだこと(2)「再生」への目覚めから、日本独自の「人間学」発信へ

下村博文
衆議院議員/元文部科学大臣
情報・テキスト
文部科学大臣下村博文氏は落選という挫折を味わった後も、胃がん手術、そして3.11と大きな転機を経験。人生の大変な局面で個人として、政治家として氏は何を考えたのか? その思いを日本の将来にどう活かそうとしているのか?
時間:11:11
収録日:2014/02/21
追加日:2014/05/01
文部科学大臣下村博文氏は落選という挫折を味わった後も、胃がん手術、そして3.11と大きな転機を経験。人生の大変な局面で個人として、政治家として氏は何を考えたのか? その思いを日本の将来にどう活かそうとしているのか?
時間:11:11
収録日:2014/02/21
追加日:2014/05/01
≪全文≫

●胃がんが教えてくれたこと-時を刻むように大切に生きる


---- 下村先生はお父さんが亡くなって以来、人生で一番大きい挫折を31歳で経験した後、都議会議員になられました。次に、人生の大きなポイントになるところは何歳ぐらいだったのでしょうか。

下村 次は49歳のときですかね。胃がんになって胃を4分の3切りました。官房副長官のときだったので、そのときは言わなかったのです。政治的ダメージが大きいですからそういうことは言いませんでした。
その時は、実際に手術をして摘出して2週間後にはもう退院していましたが、誰もそのことに気が付かなかった。普通に生活していたのです。その分、相当無理をしていたわけですね。
そのとき、入院して6日目から日記を書き始めて、それからずっと日記を毎日書くようになりました。
私はそれまでの人生では、自分は病気などならないと過信をしていました。病気など、心配ないと思っていたのです。しかし、いつ何時、何が起きるか分からない。そのとき、そのときをいかに刻むように、大切に生きるかということが必要だと思いました。
人生を刻むように大切に生きるというのは、他者との比較ではなくて、自分自身が毎日、今日一日、充実した一日を送れるかどうかということです。そのために、自分で日記を書くということを始めました。それは、2011年の3月11日まで続きました。
つまり、第三の自分の転機というのは、東日本大震災でした。それまでは私個人の日記だったのですが、3.11以降はそれをブログ、つまりオープンの日記にしました。

●第三の転機3.11で政治家としての使命を自らに問う


下村 3.11は、私の人生の三度目の転換だったのですが、これは天が私にしっかりしろ、と言っている。国会議員として何が成せるのかということを問われているのだから、これは国会議員、為政者に対する天罰だと謙虚に受け止めなければならない、と考えたのです。

---- 公に勤めているものに対する天罰だと思われたのですね。

下村 はい。心の乱れが災害にもつながっているという、昔からの教えもありますし、事態を謙虚に受け止めたのです。

---- 天が怒った、ということですね。

下村 そうですね。ですから3.11以降は、そのとき、そのときの自分の思いを、政治家として毎日発信していくと決めました。大体600字から800字ぐらい、大学ノート1ページ分ぐらいの分量でしょうけれど、それを3.11以降は文科大臣になる前の日まで、毎日書いていました。
文科大臣になってからは、なかなかこういう率直な思いは、誤解されることもありますし、今度は文科大臣としての発言をまたしなくてはいけないので、ブログで発信するのは止めましたけれど。しかし、3.11以降、文科大臣になる前までの2年8ヶ月間くらい、ずっと毎日書いていました。

●人生のターニングポイントで、個人の再生、国の再生に目覚める


---- 下村先生の人生はすごいですね。49歳のときに、官房副長官という激務の中での胃がん。そこで一度、死と直面しているわけですよね。そうした激務の中で、しかも誰にも気付かれないように2週間で復帰するというのは相当な無理を重ねられたと思いますし、再発リスクもある中で、さらにストレスのたまる職場に戻っていかれるというのは、大変なことだったでしょう。

下村 自分の職務は、全うしなければならないと思いましたから。

---- そこで本当に死生観というか、生と死に初...
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