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神武創業、大化の改新―日本的革新とは常に「原点回帰」

五箇条の御誓文(5)日本の政治革新史から見た「御誓文」

松浦光修
皇學館大学 文学部国史学科教授
情報・テキスト
八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)
皇學館大学国史学科教授・松浦光修氏による「五箇条の御誓文」連続講話。第5回は、公布された御誓文が、日本の悠久なる歴史の中でいかに位置付けられるかを論じる。「御誓文」が神道的な儀式と結びついたことは、明治維新が、「神武創業」や「大化の改新」に並ぶ「日本的革新」の一つである証となった。こうして「御誓文」は、日本の国是となった。(全8話中第5話)
時間:07:22
収録日:2015/11/29
追加日:2017/01/13
≪全文≫

●「御誓文」公布と「神武創業」の類似性


 「御宸翰」そのものについて見てきましたが、最後にこれを悠久なる祖国の歴史の中に位置付けてみましょう。先ほど私は、「五箇条の御誓文」が神道的な儀式によって公布されたことで、明治維新が建国以来の“伝統に基づく革新”という、歴史的な性格を帯びることになったと申し上げました。それはどういうことか。

 日本という国の、人の代の始まりは、神武天皇の建国から始まります。それ以前は、神代です。『日本書紀』によれば、神武天皇は、天下をほぼ平定されたあと、すぐに神を祭られます。平定が全部終わってから、神を祭られたのではありません。ほぼ平定を終えたころ、まだ完全には平定できてはいない頃に、神を祭られたわけです。その神武天皇について、挙げておきました。

 「天皇(神武天皇)は、前年の秋の9月に、ひそかに天香山の埴土をとって、神聖な平たい土器の皿をつくり、おんみずから身を清めて、さまざまな神々を祭り、ついに天下を平定することがおできになりました。」

 この記事の後、『日本書紀』には神武天皇のこういう言葉が続いています。

 「私が東方の征伐に向かってから、すでに6年が経過しました。その間に、天つ神のご威光により、多くの敵を滅ぼしてきましたが、辺境の地はまだ鎮定されておらず、残る賊徒も、なお頑強に抵抗しています。けれど、中央の大和の国は、もう塵もたたないほど平穏になりました。」

 「辺境の地はまだ鎮定されておらず、残る賊徒も、なお頑強に抵抗しています」という神武天皇の言葉は、ちょうど「御誓文」が江戸の無血開城の時期に公布された頃と、非常に状況が似ています。「御誓文」の公布を、神道的な儀式で行うことを進めた皇學者たちは、もちろん、この故事を踏まえて、それを木戸孝允に進言し、木戸孝允はそれを受け入れたのだ、と思います。


●明治維新は、悠久なる伝統を踏まえた慎重な事業だった


 しかしそれだけではないのです。もう一つ、よく似た事例があります。「大化の改新」の時の「大槻の木の下の誓い」です。

 「天皇と天皇の祖母と皇太子は、大槻の木の下に群臣を招集して、盟約を結ばせた。そして、天つ神、国つ神に、このように告げられた。『・・・帝道は、ただ一つであるのに、いつしか世も末となり、人の心がすさみ、君臣の秩序が失われてしまった。これに対して、皇祖の神々は私(孝徳天皇)の手を借りて、暴虐の徒に天誅をくだした。今、ここに誠の心を込めて誓います。今後、天皇は表裏のある政治を行わず、朝臣は、皇室に対して表裏のある態度では仕えません。もしも私たちが、この約束を違えるようなことがあれば、天変地異が起こり、鬼神や人から、私たちは殺されてしまうでしょう。そのことは、月のように、日のように明白なことです』とおっしゃった。」

 この記事の直後に、「改元して、大化元年とす」という記事が続きます。これは、御誓文の公布から半年後、明治と改元されたことに、そっくりです。

 これらのことから、明治維新は、悠久なる祖国の歴史と伝統を踏まえて、慎重に事業が進められているということが分かります。単なる勢いでやったものではなく、きちんとしたブレーン、歴史を踏まえたブレーンがついていた。


●「原点に回帰する」という革新のあり方


 こうして、神武天皇以来、神の前で天皇と群臣が共に誓い、新しい時代へ出発する、という形で、日本は大革新を行ってきました。その再現が「御誓文」です。...
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