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「何々のせい」と物事の原因を確定するのは難しい

原因と結果の迷宮(2)原因と責任の関係

一ノ瀬正樹
東京大学大学院人文社会系研究科 教授
情報・テキスト
原因と責任の関係は、わたしたちが考えているほど自明なものではない。東京大学大学院人文社会系研究科教授・一ノ瀬正樹氏によれば、「マッチを擦って火が付いた」現象ですら、文脈によっては「マッチを擦った」ことが発火の原因とは見なされない。何を原因とするかは、すぐれて制度や文脈に依存したものなのだ。(全8話中第2話)
時間:08:17
収録日:2016/12/15
追加日:2017/02/18
≪全文≫

●「原因」と「責任」は根っこでつながっている


 概念的にいっても、原因概念と責任概念の結び付きは、非常に根源的だといえます。ギリシャ語で「原因」を意味するのは、アイティア(aitia)という言葉です。今でも英語には「イーティオロジー」(aetiologyという言葉があります。病気の原因を探る医学の分野のことで、病因論などと訳します。アイティアは、「原因」という概念です。

 しかし実は、この言葉は同時に「責任」という概念も意味します。原因と責任は、実は同語なのです。これは何もギリシャ語に特有なことではありません。英語でも、例えば受験英語で「be responsible for」という熟語を習います。「何々に対して責任がある」という意味の「be responsible for」です。しかし「be responsible for」は、「何々が何々の原因である」という意味にもなります。

 他にも例えば、英語で「Heavy snow caused traffic jam」というと、「大雪が交通渋滞を引き起こした」となります。causedですから、それ(大雪)が原因となったという意味ですが、それと全く同じ意味で「Heavy snow was responsible for traffic jam」ともいえます。そういう言い方をしても、意味は全く同じです。結局、「大雪が交通渋滞を引き起こした」となります。

 日本語でも同じです。日本語にも、「原因と責任が同じだ」ということを示す表現があります。「何々のせい」という言葉です。「原因」あるいは「責任」と漢字で書いてしまうと、「何の関係があるのか」と思う方がいるかもしれませんが、「大雪のせいで交通渋滞が起こった」というと、不思議な感じは何もしませんし、不自然さもありません。

 しかし同時に、「せい」は責任をなすりつける表現としても使われます。サッカーの試合で負けたときに、口では言わなくても「あいつのせいで負けた」と心の中で思うことがあります。その場合は、責任をなすりつけているわけです。だから「せい」とは、原因と責任の両方を表します。


●原因と結果の関係は、単純ではない


 さらに責任とは、すぐれて制度依存的なものです。例えば、末端の社員や部下が何かミスをして会社に重大な損害もたらされてしまったとします。このとき、上司や社長が責任を負います。しかし実際には、社長はその出来事のとき、ヨーロッパに行っていて、全く何の関わりもなかったということがあり得ます。しかし、そうであっても、急きょ帰国して謝罪会見を開くなどします。これは、原因と責任がすぐれて制度依存的なものであることを示します。

 原因と結果は、世界に存在する単純な客観的な関係ではないことが予想されます。前回、「こうやって音がする原因は、私が手をたたいていることだ」と言いました。これは自明のことのように思えましたが、後ほど触れるように、必ずしも自明とは言えません。少し思考を深めると、そう考えることができるようになります。

 例を挙げてみましょう。マッチを擦ると、それで火が付きます。この因果関係は自明であるように思えます。「発火の原因は何か」と聞かれたら、マッチを擦ったことであるとします。確かにこれは当たり前ですね。しかし、話は必ずしもそう単純ではありません。例えば、マッチを擦ったところが無酸素実験室という環境だと想定した場合です。そこでマッチを擦って、急にパッと火が付いたら、「あ、無酸素実験室だったのに酸素があるじゃないか」ということが分かります。酸素の存在がピックアップされて、原因に指定されることになります。

 さらに、水をかぶったマッチの山の中の1本を抜き出して擦ったら発火したという場合、「あのマッチだけ水をかぶっていなかったんだ」となります。(火が付いたのは)マッチの乾きが原因だとされると思います。あるいは、発火したことが放火につながっている場合、その「原因」は擦った人の悪意に求められます。「あいつが悪いことしようとしたことが(火が付いたことの)原因だ」と見なされることもあるでしょう。

 前回、例で挙げた「トントンと音がするのは、私がたたいたからだ」ということも、同様に考えられます。音は空気の振動として伝導していくので、例えば空気がない環境で私が同じことをやって音が聞こえたとなると、「おや、何で聞こえたんだ」となります。「(実は)空気があるからではないか」ということにもなり得ます。一見、自明なことのように思えても、文脈を変えたり、関係や状況を変えたりすることで、実はそれ(机をたたいたこと、マッチを擦ったこと)が必ずしも唯一の原因であるとは言えなくなる。それらのことが、唯一の原因としてそこで特権的に働いているとは、必ずしも言えない。こういうことが浮かび上がってくると思います。


●「◯◯の究極の原因」を特定することはとても難しい


 こうした事態を、私は「原...
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