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キリスト教では、神への愛と隣人愛は等しいものである

キリスト教とは何か(4)「隣人愛」とはどういうことか

竹内修一
上智大学神学部教授/カトリック司祭(イエズス会)
情報・テキスト
パウロの回心(ピエトロ・ダ・コルトーナ、1631年)
「隣人愛」は、キリスト教を知る上での重要なキーワードだ。これについて、イエスは何と言っているか。上智大学神学部教授・竹内修一氏はここで、イエスとファリサイ派律法学者の問答を紹介する。エリート学者の挑発的な問いかけに、イエスは何と答えたのか。またそれを、私たちはどのように理解すべきか。竹内氏が解説する。(全6話中第4話)
時間:10:44
収録日:2016/12/26
追加日:2017/03/21
≪全文≫

●パウロが語る、キリスト教の愛


 次に、先ほどから出てきているパウロという人物ついて触れたいと思います。彼は最初、キリスト教徒を迫害するリーダーでした。しかし彼は、ある時に劇的な体験をします。これを「パウロの回心」と言います。今は詳しく語りませんが、どういうことだったかと言うと、迫害していたイエス・キリストが復活した後、そのキリストと出会ってしまうというものです。このパウロの不思議な体験について、「使徒言行録」という書物の中には3回書かれています。

 これは彼が勝手に作った話なのではなく、消すことのできない根源的な体験であったということであり、この体験を通じて彼の回心が生まれます。「コンバージョン」が生まれるわけです。そのパウロがいろいろなところで愛について語ります。彼は繰り返し、信仰、希望、愛の重要性を説きます。そう説きながら、「愛こそがその中で最も大切なものであり、律法の完成である」、あるいは「あらゆる徳は、この愛のさまざまな具体的なかたちとして理解される」と語ります。

 有名な「コリント人への第一の手紙」13章は、よく「愛の讃歌」と言われますが、そこでは次のように記されています。

 「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。……愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない」。

 たとえ山を動かすほどの大きな信仰があったとしても、もしそこに愛がなければ無に等しいと言い切ります。どんなに深い、あるいは強い信仰があったとしても、それが愛から出てこないならば、意味がない。こういうことを彼は大胆に語りました。


●愛とは、忍耐である


 私が読み上げたところで、パウロは愛のリスト、愛の定義を語ります。「コリント人への第一の手紙」が面白いなと思うのは、彼が「愛とは何々である」と最初に語るとき、「愛は忍耐強い」という言葉を使っていることです。英語に翻訳すると、love is patientとなります。「愛は忍耐だ」ということは、私たちが普段の生活の中で耳にしたり目にしたりする、ロマンチックなものだけではないことを示します。愛がロマンチックなものであることは否定しないのですが、愛はそれをはるかに凌駕しているものである。だから、愛を自らの身をもって行為として本当に表すとするなら、それは簡単ではないだろうと思います。それには多くの場合、痛みや苦しみといったものが伴うだろうと思います。

 ヨハネの福音書には、こういう言葉がありました。「友のために命を捨てる、それ以上に大きな愛はない」。愛では命がけであることが問われているということです。それは全く不可能なことかと言われると、そうでもないだろうと思います。難しい、けれども不可能ではないということです。親が子どものことを思うときに、親はどうするかを考えれば、愛は命がけのものであることを、歴史の中で探すことができると思います。

 旧約聖書でも、「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことの大切さが説かれていました。神を愛するということと、隣人を愛するということ。これら二つの愛は、その本質において一つであることを、イエスは自らの生涯を通して示しました。人間は、感覚的な目で見ることのできない神をどのように愛したらいいのか。イエスは、自分の目の前の隣人を愛することに尽きると語ります。「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができないのである」。これは、「ヨハネの第一の手紙」に書かれている言葉です。神は見えません。そこで救われるにはどうしたらいいかを考えたとき、あなたが問われているのは、生活の中で相対している人とどう関わるかということです。自分にとって好ましい人であるとか好ましくないといったことは問わない。むしろ自分にとって、自分が苦手とする人との関係の中に問われていることである。このように考えてもいいだろうと思います。


●「最も重要な掟は何か」


 その隣人愛と神への愛について、新約聖書の有名な部分を紹介します。

 「ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。『先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。』イエスは言われた。『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」』

 これは、マタイの福音書22章の34節から40節にある...
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