10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
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日米通商摩擦の歴史と今後のドル円相場

トランプ政権の通商政策(2)日米通商摩擦とドル円相場

高島修
シティグループ証券 チーフFXストラテジスト
情報・テキスト
シティグループ証券チーフFXストラテジスト・高島修氏が、日米通商摩擦の歴史をたどりながら、今後のドル円相場について解説する。トランプ政権は、財政政策による内需拡大と貿易赤字の縮小を両立させるため、日本にも財政刺激策を講じるよう圧力をかけるだろう。ここに思わぬ形で円安ドル高が発生するリスクがある。(全3話中第2話)
時間:11:50
収録日:2017/03/10
追加日:2017/03/29
≪全文≫

●アメリカからの円高圧力の歴史


 二つ目の議題ですが、今回日米で、通商摩擦とまではいえませんが、通商問題がもう一度復活してくる可能性が高まりました。そこで、過去の日米通商摩擦がどのようなものであったか、お話しします。

 今見ていただいているスライドは、戦後、日本とアメリカが経験した主な通商摩擦をまとめています。戦後初の通商摩擦は右側にある、1960年代の繊維摩擦だったといわれていて、その後、鉄鋼摩擦、自動車摩擦、半導体摩擦、農畜産物の市場開放と推移してきました。この一覧表の下半分が対応策になっており、赤い文字で示しているのが、アメリカから日本への直接的な円高圧力です。ここにまず注目してください。


●ロン・ヤス関係とプラザ合意


 日米両国が通商問題を抱えるたびに、アメリカは毎回、通貨政策を交渉のカードとして使い、ドル安円高圧力をかけてきたことが分かります。その典型例が、1985年のプラザ合意だったのです。当時は、日米自動車摩擦がありました。この時の日米首脳は、アメリカはロナルド・レーガン大統領、日本は中曽根康弘首相でした。両者はロン・ヤス関係と呼ばれる、戦後最も良い蜜月関係を築いたといわれています。この背景にあったのは、当時、日米両国がソ連との冷戦の中にいたことで、安全保障の問題があるがゆえに、両首脳の関係は非常に緊密化しており、一見バラ色の関係に見えたのです。

 しかし、その下で行われていた自動車交渉では、熾烈な闘いが繰り広げられていました。その結果、安全保障の面でアメリカが日本に対して非常に強いコミットメントを与えるかわりに、金融経済分野ではプラザ合意によるドル安円高を日本が飲まざるを得ないという状況に追い込まれていきました。


●繊維摩擦


 また非常に面白い事例としては、1960年代の繊維摩擦があります。この時は、ワンダラー・ブラウス問題がアメリカで生じていました。1ドルのブラウスということですが、日本から輸出されてくるブラウスが非常に安く、アメリカの生産者が困っているという状況でした。こうした中、アメリカから日本に輸出自主規制の圧力が加わっていきました。

 当時、日本とアメリカは沖縄返還という問題を抱えており、1969年に沖縄を日本に返還するということで、佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領の間で合意がなされました。ところが、佐藤首相は繊維に関して、なかなか自主規制に乗り出さない、つまり煮え切らない態度を取っていたといわれており、その結果、1971年にニクソン・ショックが起こりアメリカが金とドルの交換を停止した際に、非常に大きな円の平価切り上げ、つまり円高を飲まされてしまうのです。しかもその後、1972年にニクソン訪中があり、アメリカからかなりひどいしっぺ返しを食らいました。


●輸出規制から輸入拡大へ


 いずれにせよ、こうしたことに象徴されるように、通商問題が日米関係の表舞台に出てくる場合、主に通貨政策が議論になってきます。一方で、それ以外の対応策としては、主には日本からアメリカへの輸出の規制があります。青色の文字で示しています。これは1960年代の繊維摩擦から1980年代の自動車摩擦にかけて、主に使われた手段でした。ところが、自動車摩擦あたりから1990年代、2000年代に入ってくると、緑色の文字にある事柄が増えてくることがお分かりになるでしょう。この緑色の文字は、日本のアメリカからの輸入拡大を目指す動きです。日本市場のアメリカへの開放を意味しています。

 繊維摩擦...
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