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因果関係は不確実で、不可思議で、不可欠なもの

原因と結果の迷宮~因果関係と哲学(8)不確実で不可思議で、不可欠なもの

一ノ瀬正樹
東京大学名誉教授/武蔵野大学人間科学部人間科学科教授
情報・テキスト
人間にとって、不確実で不可思議で、不可欠なもの。東京大学大学院人文社会系研究科教授・一ノ瀬正樹氏は、因果関係のあり方をこう表現する。一見自明にも見える因果関係には、実にさまざまな謎と迷宮が潜んでいる。「当たり前」だと思っていることを、通常とは違う角度から捉え直すのが、一之瀬氏のような哲学者たちの営みである。(全8話中第8話)
時間:07:01
収録日:2016/12/15
追加日:2017/04/01
≪全文≫

●断定を避けるのが、哲学的な態度である


 哲学とは、普段当たり前だと思っていることに少し深い問いを立てることで、当たり前だと思っていることが実は必ずしも当たり前ではないことを理解する、それを大きな眼目の一つとしている学問なのです。「原因と結果」を今シリーズでは主題として挙げましたが、これらは実はそれほど自明なことではないということです。

 万人が哲学者になってしまうと、社会の物事が全く進まないので、それはあまり好ましいことではないでしょう。でも時々は、物事を冷静に見てみることです。哲学的である態度とはちょうど正反対の態度は、断定してしまうこと、そう思い込んでしまうことです。それは哲学とは反対の態度です。「これはこうである」と断定し、それ以外は受け付けないという態度は、非哲学的な態度なのです。

 どんな考え方であっても、必ず哲学的に考えると「そうではないのではないか」という疑問が成り立ちますし、その疑問を浮かび上がらせる議論は十分に可能です。「絶対に正しい」とか「確実にこうである」と思い込んでしまう態度は、非常に非哲学的な態度です。


●「ないこと」は社会に大きな影響を与える


 一方で、確固たる信念を持って物事を進める人物、リーダーシップを持って進めていく人物は、社会には絶対に必要だと私も思います。そうでなければ、社会は進まないからです。ですがその中でも、ごく少数の、マイナーな人々がいることも大切です。「ほぼ全員がそう思っているけれど、みんなが賛同してそちらに国家や社会が向かっているけれど、でも実はそうでない見方もあるのではないか」ということを密かに思い、チャンスがあればその思いを伝え、発信する。そうした作業をする人が、たとえわずかなパーセンテージであれ、いることが健全であり、社会の安全を考えると良いことではないかと私は思います。

 とりわけ政治的なことに関わったりすると、熱狂やポピュリズムという現象があれば、そちらの方へバーッと進んでしまいやすい。それも人間の本性の一つなのですが、その中にわずかでも哲学的な考え方をする人がいても良いのではないかと思います。

 そうしたことが顕在化する例として、「ないこと」、すなわち不作為が重要な事例になるということを話しました。実際に「ないこと」は、時として重大な影響、重大な変化をもたらします。例えば、アメリカ大統領が日本の皇室、あるいは政府の重要な儀式に出席すると言っておきながら、何の連絡もなく突然欠席してしまったということがあったとします。これは、国家間で非常に大きな問題に発展します。このことは「その人がいないこと」が巨大な影響をもたらす典型例だと思います。この巨大な影響の原因は何かといえば、「その人がいなかったこと」で、すなわち「いないこと」が大きな影響をもたらすということです。

 もっと身近な例でいえば、コンピューターのバグです。それをなくすことで、大きな影響が発生する可能性もあります。それもやはり、「ないこと」が与える影響の一例です。


●不確実で不可思議で、不可欠なもの


 「ないこと」が本当に原因として指定されるかどうかについては、いろいろな考え方があります。大統領が欠席したという例を挙げましたが、「大統領が欠席したと、私たちが思っていることが大きな原因だ」と思えば、どうでしょうか。「そう思っている」ことは現に私たちに起こっているのだから、それは別に「ないこと」ではないのではないかという考え方も可能です。本当の意味で「ないこと」が原因となるのかどうかについて、熟考の必要はまだあると思いますが、しかし、普通の言葉遣いとして「ないこと」が原因になるという事態は、ままあります。

 デイヴィッド・ルイスというアメリカの有名な哲学者は、真空の例を出しています。真空、全くのボイド(void)に人間の体をボンと置くと、空気の圧力がないので、まず体がボワッと膨れて、血が飛び散って、あっという間に死んでしまいます。では体が膨張して死んでしまったことの原因は何かというと、それは何もなかった(真空だった)からです。つまり、nothingが原因だというしかないのではないか、ということです。ルイスはこういう事例を出して、「ないこと」の因果性について語っています。

 もちろんこれも、真空に人間を投げ入れたことが原因だという言い方も、もしかしたらできるかもしれません。だから「ないこと」が本当の意味で原因かどうかについては、議論の余地があります。ただそのことについても、100パーセント完璧な回答を与えることは、原理的にできないだろうと思います。

 非常に不思議なことに、ここまで話したようなことがあるからといって、「原因と結果」という関係概念なしに私たちはこの世界で生きていけるかというと、そうは...
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