10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
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ローマ共和制の「独裁者を許さない」原則とは?

ローマ帝国への道(4)共和制500年の第一原則

本村凌二
早稲田大学国際教養学部特任教授/東京大学名誉教授/博士(文学)
情報・テキスト
ザマの戦い(Cornelis Cort,1567)
早稲田大学国際教養学部特任教授・本村凌二氏によるローマ帝国形成への経緯をたどる連続講義。共和制国家として500年の伝統を持つローマが、その第一原則として徹底的にこだわったのは「独裁者を許さない」ということだった。この原則の前では、あの英雄スキピオ、そしてカエサルさえも屈せざるを得なかった。(全7話中第4話)
時間:09:19
収録日:2016/12/16
追加日:2017/04/05
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≪全文≫

●ローマ共和制の伝統-単独の支配者を許さない


 カエサルは、いわばローマ世界の中で唯一の権力者にのしあがっていきます。これまでも繰り返しお話ししましたが、ローマは共和制の伝統を500年間守ってきました。

 共和制とは何かというと、第一の原則は「独裁者を許さない」ということです。王や君主といった単独の支配者を許さない。そういうことをローマ人は500年にわたって心掛けてきました。ローマは、そうした支配者の嫌な面をそれまでの王制期の250年の歴史の中で経験していましたから、繰り返し英雄が現れてくると、その英雄が最終的には何となく影が薄くなっていったり、場合によっては敵対勢力からやっつけられて裁判沙汰を起こされたり、といったこともあったのです。


●英雄スキピオと反対勢力


 その典型が先ほどお話しした、ハンニバルを打ち破った大スキピオです。紀元前の202年のことですが、スキピオは、徹底的にローマ人が痛めつけられたハンニバルを最終的にザマの戦いで打ち破ります。それまでハンニバルに非常な苦汁をなめさせられたということもあり、若きスキピオが登場してハンニバルを打ち破ったということは、ローマにとっては大変な功績であり、そのために彼は英雄に祭り上げられていくのです。

 すると、今度はそれに敵対する勢力としてカトー一族が登場します。その最初の代表的な人物に大カトーと呼ばれる人がいます。この人はスキピオとほとんど同年代ですが、スキピオ、グラックス家が非常に進取の気性に富んでいたのとは対照的に、カトー一族は非常に国粋主義的な保守派の中核のような人たちでした。

 このカトー一族、あるいは彼を支持する人たちは、スキピオを非常に嫌っておりました。その上、スキピオはローマ国家を救済した英雄になるので、繰り返し「こいつがまた単独の独裁者になる。王になる」と言って、その危険を皆に吹聴したのです。

 スキピオも自分が表に立って行動すると、いつもそういう目にさらされました。スキピオの兄弟が軍隊を率いていると、いわばそのサブリーダー、あるいは顧問格でも(一族の者がその中に)入っているので、そういう軍隊を率いたスキピオの一族を、反対勢力が「不法な形でいろんな財産を得ようとした」、いわば私腹を肥やしたということで告訴するのです。


●独裁者に対するローマ人の強固な警戒心


 スキピオは、最終的には犯罪者にはなりませんでしたが、自分は「国家救済の大変な英雄だ」という自意識がありますから、そこまでおとしめることに対しての屈辱感でローマを去ってしまいます。晩年は、今でいえばナポリあたりに住んでいたといわれているのですが、結局ローマを去って二度と帰ってこなかったのです。彼はスキピオ家の墓に入ることすら拒んだといわれているほどです。ローマ人の忘恩といいますか、自分が国家を救済したはずなのに、それが全く報いられなかった、逆にいえば、それくらいローマ人は独裁者に対する警戒心を持っていた、ということなのです。

 そうした状況であったからこそ、紀元前1世紀の内乱が続く中でスッラも、マリウス派、つまり民衆派を打ち破って単独の権力者にのし上がっても、2、3年で権力を手放したのです。それは、彼もそのことに関して危険を感じていたからなのかもしれません。つまり、周囲が「彼は単独の支配者になるのではないか」という恐れを持つことを彼自身が感じていたので、潔くそれを手放したのです。


●数々の改革を進めたカエサルと反対派の懸念


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