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パックス・トクガワーナを築いた徳川家康の大胆さと慎重さ

徳川家康のリーダーシップ(1)大胆さと慎重さ

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/明治大学研究・知財戦略機構国際総合研究所特任教授
情報・テキスト
徳川家康
独特の経済感覚、文化人としての側面など、徳川家康にはさまざまな逸話が残っているが、やはり最大の功績は270年近く続く「パックス・トクガワーナ」ともいうべき泰平の世を築き上げたことだ。今回はそんな家康の大胆さと慎重さについて、歴史学者・山内昌之氏が論じる。(全2話中第1話)
時間:11:34
収録日:2017/04/05
追加日:2017/04/30
≪全文≫

●経済、文化、さまざまな切り口で見る徳川家康


 皆さん、こんにちは。今日は政治のリーダーシップについてお話しします。

 日本の経営者、あるいは政治家の人たちには、リーダーシップの問題を考える時に徳川家康を持ち出す人がしばしばいます。これはかつてベストセラーになった『徳川家康』(山岡壮八著)の名残りかと思われますが、いずれにしても家康という人物はなかなか興味深い歴史的存在です。

 家康を語るには、いろいろな切り口があります。例えば、彼の経済感覚です。よく吝嗇、けちであると言われますが、実はその「けち」とはいわゆる「始末」のことで、つまり物の使い道に対して、お金を出すべきところには出す、出す必要のないときには出さないという合理的な感覚を持っていたという捉え方もあります。また彼は、自分自身は無学だと言いながら、多くの古典を蒐集しており、かつ重要なのはそれを「慶長版」と称して印刷に回し、多くの大名や知識人たちの目に供していくということをした文化人でもありました。


●最大の功績は「パックス・トクガワーナ」の実現


 さらに彼は何といっても、日本の中世末期から近世にかけて戦乱を終わらせた最大の功労者であり、類まれな戦国武将としての軍事能力にも長けていました。また同時に、江戸に徳川幕府を設けて、その第一代の将軍として政治家たる手腕を存分に発揮した人物です。そして、彼の近臣には、今の「八重洲」という地名がその名に由来といわれるヤン・ヨーステンという人物や、もともとはイギリス人でウィリアム・アダムスですが神奈川県の三浦に由来し、かつ「按針」という名前が地名にも残っている三浦按針という人物がいました。このアダムスやヨーステンのような人物を自分の側近として起用し、外国貿易を盛んにすることにも関心があった、大変に開かれた人物でもありました。

 しかし何よりも、十五代にわたって徳川将軍家が存続し、およそ270年にわたって日本に統一国家をつくり出し、そこで「パックス・トクガワーナ」(徳川の平和)と呼ぶべき持続的な天下泰平を日本にもたらした、という点が最も大きな功績であると思います。


●常に余裕をもち、平時と非常時を巧みに処理した家康


 家康についての逸話はいろいろな角度から捉えることができますが、私からするとやはり注目すべきは、「治にありて乱を忘れず、乱にありて治を忘れず」という平和と戦争、あるいは非常時と平時について、非常に巧みに、そして合理的に処理することができた人間であるという点です。

 例えば、大坂夏の陣の戦いが始まろうとする、まさにその直前の逸話があります。彼は各仏教諸派の宗論、論議を聞くことをこよなく楽しみにしていたのですが、二条城で高野山、すなわち真言宗の論議を聞いていたある日のことでした。戦争がすぐそばに迫っており、陣立てをしたり、いろいろな作戦を立てなければいけないため、武将が出入りして、軍議が行われています。その真っ只中に、彼はそうした宗論を聞く余裕があったということです。

 そのような勉強をしている時、かつては常陸の領主であり関が原の戦い以降、秋田に移された佐竹義宣が、打ち合わせと挨拶のために参上しました。家康は、それを取り次いだ家臣に「今は論議をしている最中に何を言うか」ととがめ、「ちょっと待っておれ」と言いました。論議が終わると高野山の僧侶たちをねぎらい、「これから大切な戦に向かうので、話はまずここまでとさせてもらう。戦いが終わってから帰りに時間があれば、再び話を聞こう」と述べたということですが、それほどの余裕があったということです。そして、この後、秋田藩の佐竹を呼んで話をした、といわれています。

 その様子は平静で少しも慌てたところがなく、普段と変わらなかったそうです。こうした様子はすぐに大坂方にも伝えられました。「大御所(将軍を二代目秀忠に譲った家康)は、年は取ったけれども日ごろの態度は以前とまったく変わりがない。この様子では今回の大坂と江戸(豊臣と徳川)との戦いは大坂城の方、すなわち豊臣方が望むような勝ちにはなかなか進むまい」と思慮深い豊臣方の人々は噂し合い、ため息をついたといわれています。


●大胆さと慎重さを合わせもった家康


 家康は織田信長や豊臣秀吉と違って慎重であった、あるいは冷静であった反面、思い切った決断や賭け、挑戦という点では大胆なところがなかったかのようによくいわれますが、必ずしもそうではありません。家康は生涯において何度も死地をくぐっています。

 例えば関が原の戦いの時には、旗や長柄を立てる場所、あるいは使番や目付を配置する場所をつぶさに決めたので、最後の第二次大坂戦争とでもいうべき大坂夏の陣でも同じように慎重にこういった陣立てをするのでしょうかと、側近の本多正純が尋ねま...
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