●GCC3カ国の大使召還は、時代の潮目になる事件
皆さん、こんにちは。今日は、最近の中東、特に湾岸情勢についてお話ししたいと思います。
日本だけではなく世界的にもあまり注目されていないことですが、最近湾岸においてある重要な事件が起きました。それは、今年2014年の3月5日に、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、それにバーレーンの3国が、カタールから大使を召還するという事件でした。
こうした湾岸諸国6カ国間における大使の召還は、ほとんど前例のないことです。湾岸の国々、GCC(湾岸協力会議=サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンのペルシャ湾岸6カ国が1981年に設立)の国々は全て君主国家ですが、こうした国々の関係においては、紛争や対立が生じても、そうした政治の表面から少しずれたところで、政治の舞台から隠れて処理をしてきたという歴史がありますので、大使を召還するというような事態はまことに新しい現象と言わなければなりません。
こうしたことをどう捉えるか、なぜ3カ国がこのような挙に出たのかについては後ほど述べることにしますが、これはあえて申しますと、GCCを構成している6カ国の関係が新しい時代に入ったという見方も可能かと私は考えています。すなわち、この危機もさることながら、危機への対応が、ある種の大人の関係として、GCCが成熟しているという面もあるということです。
3カ国の大使召還措置に対して、カタールの側では、それに対する報復や、あるいは対応として大使を召還するということは、まだ起きていません。これは問題をあくまでも平和的に話し合いで解決しようとする、カタールの大人としての外交的な対応を意味しているのです。
●20年近く続くカタール自主独立の努力
さて、このような大使の召還に至るまでには、実は長い歴史があったのです。実はカタールは、1996年以来、サウジアラビアからの影響力を弱めようとして、独自の政治あるいは外交路線をとろうとしてきました。とりわけ、この間のサウジアラビアとアメリカの関係の複雑化と相まって、今回のカタールに対するサウジアラビアをはじめとする3カ国の大使召還という事実は大変興味深いものがあります。
カタールが独自制をとっているのには、三つの背景があろうかと思います。まず、サウジアラビアという、湾岸諸国の中で最も強力な国の圧倒的な影響とその圧力のもとにさらされてきた湾岸の他の五つの国の自主独立、独立自尊の道への歩みという意欲です。したがって、サウジアラビアが圧倒的に影響力を持っている油価、石油価格の設定や、それを武器にした湾岸の他の国に対する影響力の行使ということから離れて、最近のカタールは天然ガスへの投資と天然ガスの開発、輸出という方向にも、自らの行方を求めようとしています。これが第一です。
第二番目には、アメリカのオバマ政権がイランに対してすこぶる妥協的な対応をしており、ウラン濃縮の問題等々をめぐって、いわゆる「5プラス1(ファイブ・プラス・ワン=国連安保理常任理事国5カ国+ドイツ)による合意によって、イランと西側の国々との間には接近が生じていますが、こうした最近のアメリカのイランに対する新しい対応に対して、カタールは、逆にアメリカを自らの庇護者、保護者として受け入れることによって、サウジアラビアの影響力を弱め、離れようとしているという新しい戦略の表れではないかと思います。
第三番目として、特に最近のサウジアラビアに対して、カタールが、その自らの国際的なイメージの増大を図っていることです。湾岸諸国といえば、日本においてもすぐにサウジアラビアをイメージしがちですが、まさにこういう意味での国際的なイメージビルディング、イメージを新しくつくっていくという外交戦略に、カタールは舵を切ったということです。カタールは最近スポーツクラブをつくったり、あるいは超豪華ホテルをつくったり、あるいはワールドカップひいてはオリンピックに対する熱心な誘致活動や、開催に対する意欲をみせていますし(2022年FIFAワールドカップ開催予定地に決定)、フランスをはじめとしたヨーロッパの国々の、国内における歴史的な文化遺産への保護、あるいは遺産修復などに対しても、投資を図るという形で、ヨーロッパにおけるカタールのイメージビルディングにも努めています。
●イスラム主義組織への対応にも独自路線を打ち出す
結局のところ、カタールがサウジアラビアから自由になろうとするのは、第一に、石油市場からカタール経済をより自主的に発展させたいという意欲があるということです。つまり、サウジアラビアの友邦であることは否定しないけれども、サウジアラビアの従属国あるいは単なる弟国...