●稼ぐ力の実態は常に事業にある
「稼ぐ力」についていえば、「企業」と「事業」の2つは、必ずしもイコールではありません。例えば、こういうケースが一番典型的です。会社は、何らかの商売の塊、事業の器です。大きな会社になると1つの器の中に、さまざまな商売の塊(事業)が入っています。会社全体を代表する人の一つの役割は、資本市場における競争に相対することです。こうした、競争や戦略、経営者といった要素は、この図の下に位置します。つまり、ある商品なりサービスがあって、お客さまがいて、競争相手がいて、どこが儲かっていて、どこが儲からないのか、といった話は、全て事業レベルで起きていることです。もちろん、1つの事業に集中している会社であれば、結果的に会社全体の社長と事業の経営者がイコールになりますが、そうでないケースも多いでしょう。ですから、以下の話の主語は、すべて事業経営者だと考えてください。
もちろん会社は、法人という形で法的な裏付けを取るといった点で必要ですが、「稼ぐ力」という点ではあくまでフィクションです。実態は常に事業の方にあります。「事業」が主で「会社」が従だという、この主従関係が大切です。
これがひっくり返ると、東芝のような不健康な状態になるのではないでしょうか。いろんな問題があるでしょうが、根底的な問題の一つは、個々の事業の「稼ぐ力」をないがしろにして、本社が前に出すぎたということです。例えば、しばらく前のパソコン事業の問題です。本来は、競争の中でパソコン事業がどうやって稼いでいくのかということが肝心のはずですが、本社が僭越にも、「稼ぎが足りないからもっと数字を出せ」とか、「チャレンジしろ」などと口を出してしまったのです。これでは、主従関係が逆転してしまいます。リードしすぎだ、ということです。
僕の個人的な好みでは、事業経営者がでかい顔をしているのが、良い会社です。会社という器は、本来、それぞれの商売がフルに力を発揮して稼いでいくためのサポートをするものであるべきなのです。
●戦略とはストーリーである
こうした中、競争戦略というものは、事業で長期利益を出す手段として位置付けられます。話は極めて単純で、要するに、競争相手との違いをつくるからこそ選ばれるということです。「ストーリーとしての競争戦略」と言っているのは、さまざまな違いを長期利益に向けてつなげていくことを強調したものです。
『好色一代男』で有名な井原西鶴は、江戸時代のごく初期(1600年代)に活躍した著述家ですが、今でいうビジネス書のようなものを多く書いています。『日本永代蔵』などは、事例研究集の形を取っていて、極論すれば『日経ビジネス』のようなものです。当時の江戸時代の商売を例にとって、なぜこれが失敗して、これがうまくいったのかを論じています。『日本永代蔵』の中で取り上げられている、おそらく一番有名な事例は、越後屋呉服店です。現在の三越の前身に当たります。西鶴によれば、越後屋呉服店は当時の小売りベンチャー、つまり、小売業に全く新しい戦略を持ち込んで、大成功しました。西鶴が賞賛するその戦略とは「現金掛け値なし」というものでした。もちろん「戦略」という言葉は、当時の日本語にはありません。西鶴がそれに相当する言葉として用いていたのは、「儲け話」です。つまり、戦略がストーリーだということは、何百年も前から言われてきた、当たり前の話なのです。
●箇条書き大作戦では「話」のつながりが見えない
どうして僕がそのような当たり前の話を蒸し返すのか、動機についてもお話しましょう。ソフィア・コッポラ監督の数年前の作品で、『SOMEWHERE』という映画があります。これは、僕がこの10年間で最も感動した映画です。主人公はアメリカのハリウッドスターで、普段、フェラーリに乗って優雅な生活をしています。彼は離婚しており、別れた妻と一緒に暮らす11歳の娘がいます。ある時、元妻に事情があり、娘をしばらく預かることになりました。久々に一緒に暮らしてみると、娘は料理が上手になっていました。そんな娘とテレビゲームで遊んだり、プールで遊んだりするわけです。主人公は映画俳優ですから、ミラノの映画祭に娘を連れていくなど、楽しい時間を過ごします。そして娘が母親のところに戻っていく、というストーリーです。
こうした説明をされてもよく分からない、と思われるでしょう。僕が言いたいことは、こうした仕事をしていると、いろいろな方が仕事場にお見えになって、今度こういう戦略でいこうと思うが、どう思うか意見を述べよ、とおっしゃるわけです。こうしたやり取りの中、僕は8割ぐらいの確率で今の皆さんと同じ気持ちになります。
つまり、箇条書き大作戦とでもいうかのように、中期経営計画やプレゼンテーションを見せていただ...