●敗戦と占領の事実から日本の今を考える
敗戦、占領、戦後復興ということで、「日本は異民族支配からいかに再生したか?」ということについてお話しします。
日本は、2500年の文明史の中で一度だけ異民族に支配されたことがあるのですが、それは、いうまでもなく太平洋戦争の敗戦に次ぐ占領期間の6年間のことです。しかし、それから程なく、世界が瞠目する経済発展を遂げています。これは「世界史の奇跡」といわれています。敗戦の結果、日本は世界の全ての利権を喪失しました。日本中の都市は、爆撃でほとんど焼け野原。また、世界で初めて原爆で被爆しています。戦争による直接の犠牲者だけでも310万人は亡くなっているのです。
しかし、およそ25年後には、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になりました。これを奇跡と言わなくて何と言おうか、ということです。なぜ、そんなことができたのか。なぜ敗戦が日本を変えたのか。もっと言うと、戦争、占領は日本に何をもたらしたのか。それとも、別の要因があったのか。こういう問題に、少し答えてみたいと思います。そして、この敗戦と占領の事実を学ぶことで、私たちは今日の日本のあり方とその意味をよりよく理解することができるのではないか。私たち中年世代が、次の世代のためにも、今そのことを学び皆で考える意義があるのではないか。ということで、今日は自由論題なので、このテーマでやってみようと思っています。
●マッカーサーが放った政治的メッセージ
さて、最初は「厚木飛行場に降り立った占領者」というテーマです。1945年8月30日午後2時、アメリカの誇る巨大爆撃機B29の特別機「バターン号」が厚木飛行場に着陸。機体からダグラス・マッカーサー連合国最高司令官が、サングラスを掛け、コーンパイプを片手に悠然と姿を現しました。彼は、立ち止まって日本の大地をしばし見渡し、それからゆっくりとタラップを降りました。この姿は日本中に、そして全世界に報道されました。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は、「第二次大戦における軍人の最も立派な行為だ」ということで賞賛したと言われています。危険極まる敵地に丸腰で降り立つ勇気をたたえたわけですけれども、実際は沖縄の読谷飛行場で完璧な情報活動によって受け入れ準備があるのを確認してから厚木に飛んだことが、後で分かりました。安全を見極めた上でのパフォーマンスではありますが、しかし、それは日本と世界の人々への明確な政治的メッセージだったのです。
そして、彼は降りてすぐ、「メルボルンから東京まで、思えば長い道のりだった。しかし、ついに私は来た。日本側の武装解除は、何ら血を見ることなく既に終わった」と述べたのです。多分、こんな英語で話したのではないかと思うのです。
“I‘ve recollection-it was a long journey from Melbourne to Tokyo.We finally stand on the soil of Japan.Japanese Army has been completely disarmed without blood,all is finished.”
●無血の武装解除の背景-必死の説得と政府の意思
しかし、この情景を可能にしたことには、いくつか重要な背景がありました。実は、厚木海軍飛行場は、1週間前の8月24日まで、とてもマッカーサーが飛来できる状況ではなかったのです。陸海軍航空隊の徹底抗戦派がいて、「俺たちはマッカーサーに体当たりしてやる」と公言し、連日、東京上空でうるさいほどの示威飛行を繰り返したのです。陸軍航空隊は、さすがにこれでは困るということで、後に総理大臣になられた東久邇稔彦王が陸軍大臣を兼ねておられたので、命令を発して説得しました。抵抗をしていた飛行隊も、皇族から言われたらしょうがないので、飛行機から燃料を出してプロペラを外しました。ところが、海軍航空隊はそれでもやめません。そこで、天皇陛下が高松宮殿下を派遣して説得しました。その結果、海軍の数十機は北関東の熊谷飛行場などに退去して武装解除しました。
この状況を恐らく見極めた上で――台風の影響もあって少し遅れたのですが――アメリカ軍のチャールズ・テンチ大佐が率いる先遣隊が、28日午前8時、準備確認のために、ようやく厚木に到着できました。それから2日後、マッカーサーの飛来となったのです。
しかし、もっと重要な背景がありました。それは何かというと、この占領は日本政府の意思の下に行われた「間接占領」だったということです。さらに重要なのは、日本が自国政府の決断で降伏したことです。ちなみにドイツは、ヒトラーが率いたナチス政府が最後まで抵抗したものですから、ベルリンは政府が消滅するまで破壊されました。何も残らなかったのです。そして、米英仏ソの4カ国による分割直接占領となりました。戦勝国側にあったはずの朝鮮ですら2分割された悲劇は、今日まで続いています。
日本は、世界の敵だと言わ...