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ポツダム宣言受諾に際しての昭和天皇の「御聖断」

敗戦から日本再生へ(10)ポツダム宣言受諾への道のり

島田晴雄
公立大学法人首都大学東京 理事長
情報・テキスト
御署名原本「大東亜戦争終結ノ詔書」(1頁目)
公立大学法人首都大学東京理事長・島田晴雄氏による島田塾特別講演シリーズ。紆余曲折の末、ついに発表されたポツダム宣言とその正式受諾に至るまでの道のりを知る。陸海軍の猛反発にあいながら本土決戦前の降伏を実現したポツダム宣言受諾の要には、昭和天皇の聖断と真情を語る言葉があった。(2016年7月8日開催島田塾第137回勉強会島田晴雄会長講演「敗戦、占領、そして発展:日本は異民族支配からいかにして再生したか?」より、全13話中第10話)
時間:12:04
収録日:2016/07/08
追加日:2017/08/02
≪全文≫

●ポツダム宣言と原爆の兼ね合い


 そして、ポツダム宣言です。スティムソンの発言に異を唱える者はいなかったけれど、ある軍事的理由で時期尚早とされていました。その理由は原爆です。グルーは、無条件降伏の緩和について一般的合意を得るのが精いっぱい。あとはスティムソンと陸軍次官のジョン・マックロイが受け持ちました。6月に入って、トルーマンは「対日宣言を来るポツダムでの会議に発すること」を決定しましたが、トルーマンの個人声明ではなく、「米中英3国の共同声明に拡大させる」と言いました。

 7月2日午前11時、スティムソンはポツダム宣言草案とその趣旨説明書をスティムソン・メモにしてトルーマンに手渡しました。そこには、現皇室の下で立憲君主制を容認する文章があったのです。ポツダムには、当初は、スティムソンは随行員から外されていたのですが、結局、何とか随行することに成功しました。

 スティムソンは原爆開発の責任者です。ところで、スターリンとは、とんでもない人物だったようです。カリスマで交渉上手で、とてもトルーマンの敵ではない。経験は豊富だし、大量虐殺を行っているし、ひどい人のようです。ですから、トルーマンは、ちょっとスターリンの前では、縮んでしまうような感じで、それをスティムソンが横から、その都度、「大統領、原爆の実験は成功なんですよ。成功したんですよ」と3度も4度も報告しました。その言葉でトルーマンは元気づけられて、スターリンに挑むことができたと、こういう構造があったようです。


●スティムソン、原爆投下から京都を救う


 そして、スティムソンがトルーマンに対して影響力を及ぼした、2つの要望がありました。1つは、原爆投下の第1目標であった京都を目標から除外する。それから2つ目は、天皇制について日本に配慮を与える。この文章はポツダム宣言の草案からは消されていたのです。

 実は5月11日に、ワシントンで目標委員会(Target Committee)があり、第1目標の最適地として京都を選んでいたのです。なぜか。「三方が山に囲まれて爆発効果が高い。京都には勇名高い京都師団があり、爆撃がないということで軍需産業が集積。京都は1,000年の都であり、日本の知的文化の象徴。心理的ショックが大きい。だから、やってしまえ」ということだったのです。

 スティムソンは5月31日に、その委員会で反論をします。「日本国民に修復不可能な傷を与えるべきではない」として、京都案を拒否しました。7月22日、ポツダムのスティムソンに対して、委員会がこぞって京都を第1目標にしたいと欲しているとの電報を打ちました。スティムソンは、これも断固拒否したうえで、トルーマンに直訴、そしてこう言ったのです。「京都をやってしまえば、戦後の米国に好意的な日本という米国の政策意図を砕くことになりますよ。だから京都を除外してください」。トルーマンは「分かった」と言って、同意してくれたのです。ですから、京都を救ったのはスティムソンなのです。


●大統領との会話で死守した「天皇制存続の保障」


 しかし、ジェームズ・F・バーンズ新国務長官の修正で、ポツダム宣言草案から「天皇制存続の保障」は消されていたのです。スティムソンは、この修正に対して「非常に遺憾だ」と大統領に言ったうえで、大統領はポツダムで1人ですから、スティムソンが散々、耳元でやるわけです。「この一点で、もし日本人が戦い続けるようであれば、大統領は、文章にはないけれど、外交チャンネルを通して口頭で保障を与えるというようなことを考えて、注意深く見守っていただけないか」と要請しました。そうしたら、大統領は、「そのことは自分も考えていた。そのように考えましょう」と言ったのです。これが、随分あとで重要な意味を持つのだそうです。


●ポツダム宣言発表に陸海軍の猛反発


 1945年7月26日、ポツダム宣言が米中英3国の名で発表されました。日本の東郷茂徳外務大臣は、その意図を正しく評価しました。「無条件降伏を求めたものにあらざるは明瞭」。つまり無条件降伏ではない。「占領も地点の占領であって、広域なる行政を意味していないなどは、ドイツ降伏後の取り扱いとは非常なる懸隔(けんかく)。これを拒否するかのごとき意思表示は、重大なる結果を惹起(じゃっき)する恐れあり」と判断して、鈴木貫太郎首相に献言したのです。鈴木首相も「分かった。取りあえず日本政府は公式の対応を避けるが、慎重に検討しよう」と言いました。

 ところが、陸海軍が猛反発します。「政府が何も反ばくしないことには、将兵の士気に関わる」という抗議です。これは陸海軍ともに、激しく反発しました。28日、鈴木首相は、記者会見後、記者の質問に答える形で、「どうするのか」と言われた時に、「何ら重大な価値なし。ただ黙殺するのみ。われわれは断固、戦争完遂にま...
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