●モスル解放は「シーア派の宗教的な勝利」なのか?
皆さん、こんにちは。前回に引き続き、今日はポスト・モスルのISについて語ってみたいと思います。
ISはその傲慢さと非人道的な残虐性で世の中に知られることになりました。また、この特性のため、当初は期待していたスンナ派アラブ(とくにイラク)の支持者たちも、完全に離反することになりました。イラクとシリアにおいて、こうした現象が起きていることは事実です。
しかしながら、イラクとシリアには、もう一つ宗派対立というものがあります。スンナ派対シーア派という構造的な対立要因です。そこで、過去の怨恨や宗派的な憎悪がよみがえる限り、ISを根絶するのは大変難しいかと思われます。
最悪の見方は、次のようなシーア派の見立てです。つまり、モスルの解放というのは、スンナ派(IS)からの解放、あるいはスンナ派の暴力や独裁からの解放、すなわち「シーア派の宗派的な勝利」だという見方です。
●ポスト・モスルにおける三つの政治課題
私たちとしては、ポスト・モスル(モスル解放後)の政治課題について、三つ挙げておく必要があろうかと思います。
一つ目は、スンナ派やシーア派といった宗派の違い、あるいはクルド人とスンナ派やシーア派の違いといったエスニック集団(民族)を越えたイラク国民の一体性や凝集力を、もう一度あるいは新たに育むことができるのかという点です。
二つ目はガバナンスの問題です。つまり、イラクという国が一体となって、新しくイラク国民を再結集させ、イラク国民という認識を持つ。そこで統治のガバナンスをつくりだし、強化できるのかという課題です。
三つ目に、国の再建や国民の再統合のためには、海外企業の投資あるいは海外の経済協力や開発協力が必要になります。そういう意味で、イラクには多くの外国の関与が必要です。この外国の利益のバランスをどのように取って、配分するか。あるいはどのように利益のバランスを取ろうと考えるのか。その計算が必要なのです。
●イラク国家が三つに分割されている現状とは
しかし、これらはシリアと同様、なかなかに難しいのです。例えば、2014年のISのアラブ・スンナ派心臓部、すなわちイラクやシリアへの浸透によって、イラクでは同じアラブ人でありアラビア語を話していても、スンナ派とシーア派との間の対立が激化しましたし、北部にはクルド地域政府(KRG: Kurdistan Regional Government)ができてきました。すなわちイラク国家は事実上、スンナ派、シーア派、KRGの三つに分割されているという現象が生じ、それが促進されているという現実があるからです。
この現実を見ずに、一方でイラク国家や国民の統一性だけを語っても、特にクルド人はそれに対してイエスとは言えないということです。KRGは実際上、シーア派・スンナ派のイラクと関わりなく、アメリカの支援などを受けながら、イラクとシリアでISと戦ってきました。そして、モスルからの解放や北部のキルクークからの解放等々に対しても、クルド兵力が大きな力を果たしたと言えるからです。
●根強い「宗派間対立」と、進行する「宗派内対立」
バクダードの中央政府は、破壊された中央部の都市復興には熱心ではありません。なぜならば、そこがスンナ派の居住地域だからです。このバグダードの経緯に加えて、彼らはイラクのバスラ等々の港で荷揚げされた再開発・復興の建設物資の搬入をしばしば阻止するということさえ行っています。まさに「宗派間対立」の重要な要素です。
ところが、一方においては「宗派内対立」があることも気を付けなければいけません。2003年以来シーア派内部では衝突が進行し、ポストISのスンナ派アラブ政治運動をまとめる統一的な存在がスンナ派のアラブ人の中には見当たりません。つまり、宗派内の対立も深刻になっているということです。
他にも大事な点として、「カルデラ教会」という名で知られていたネストリウス派の存在があります。歴史上では、唐の時代に東方の中国にまで伝播したとされる「景教」の基本的な流れがイラクにありました。このネストリウス派の流れをくむキリスト教徒の宗派の存在も無視できず、彼らとシーア派の対立は今後も残ることになります。
●クルド人を軸とした「民族間対立」と「民族内対立」
矛盾は、イラク国民を構成するはずのエスニック集団をめぐる関係でも生じています。「民族間対立」の軸は、まずシーア派のバクダード政府とクルド人のKRGとの間にあります。特にKRGのもともとの版図(許されている自治地域)の外にある産油地キルクークを目下占領しているのはクルド人兵力です。これをどう扱うのかという点は、イラクの今後を占う上で大変大きなことで、それによっては紛争の火種になりかねません。
そこには、トル...