●独裁政・寡頭政・民主政。それぞれの問題が危機を生む
皆さん、こんにちは。
最近の北東アジア情勢は、日本の安全保障に重大な危機と脅威をもたらしています。他方、世界的に見ると、合わせて中東の危機がヨーロッパやロシアに対しての大きな脅威を与える存在です。そこで、北朝鮮を中心とする北東アジアの危機、また中東の、かつて私が「複合危機」と名付けた中東とヨーロッパないしユーラシア全体に関わる危機について、今日は考えてみようと思います。
歴史的にものを考えるため、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの話から説き起こしてみます。ヘロドトス以来、政治を動かす代表的な政体(ポリティーク)には、簡略化すると「独裁政」「寡頭政」「民主政」の三つが挙げられてきました。ヘロドトスは、この三つを比較して次のように言いました。
「ペルシア人は、責任を問われない形で君主の独裁を選び取った。ついでスパルタ人は、その度し難いエリート主義から貴族の寡頭政を好んだ。最後にアテナイ(アテネ)人は、混じりっけなしの自治の民主政を受け入れた」
さらに、それぞれが失敗したのは、独裁君主政では無責任さが暴力を生み、寡頭政では図々しさが横柄さを、民主政ではその平等が無秩序を生み出したからだ、と言っています。
これはプルタルコスが『モラリア』で述べたことにもつながります。世界史においては、政治家に冷静な思慮や分別が欠如すると、極端な姿勢や政策が生まれがちであり、しばしば深刻な政治危機を歴史上生み出してきた、ということです。
●ヘロドトスの3分類がぴたりとハマる北東アジア
ヘロドトスやプルタルコスの指摘は、現在の北東アジアの国々にも本質的に当てはまるのではないかと思われます。まず、金正日氏の冷酷な独裁政治は、核実験や各種ミサイルによる無責任な軍事挑発を戦争の瀬戸際まで追求しています。
また、寡頭エリート支配と呼ぶべき、習近平氏と中国共産党の少数派によるエリート主義的支配は、東シナ海や南シナ海における無分別な国際法の無視と、他の国の領土や領海を侵犯する行為を繰り返してきました。その反面、北朝鮮の核やミサイル等の軍事開発には寛容でありすぎたあまり、中国本土の安全保障さえ究極的に脅かす力を北朝鮮に与えてしまったのです。
どうも中国のエリートたちは、この点に関して無自覚なのか、あるいはその危機や脅威に気がついていても、今さらそれを言葉として表現できないのか、いずれかでしょう。これが中国自身にとっても最大の脅威になっているという認識を、中国のエリートたちは持たないといけないと思います。
そして、プルタルコスのひそみに倣うならば、わが国は平等主義と絶対平和主義を至上の、無二の価値観に高めがちです。その結果、安全保障、安保法制による正義の必要性さえ否定する、一種の無政府的な思考を一部の政党や市民の中に生んだことは、最近の記憶に新しいかと思います。
それでも、現実に北朝鮮の脅威がもはやジョークではない段階に達している今、その脅威に対して、国家あるいは国民がいかに立ち向かうのかという必要性という意味については、安保法制の成立に反対した民進党の分裂を代償に、まさに総選挙の論点の一つになろうとしています。
●シリアの未来を左右する「独裁・寡頭・民主」とは?
先ほど申した「独裁政・寡頭政・民主政」の三つの政体の分類は、ヘロドトスやプルタルコスが歴史を考える素材とした中東、ことにシリアの未来を左右する三つの国にも当てはまると考えられます。
ソビエト共産主義とKGB、その二つの暴力性と秘密性を踏襲しているウラジーミル・プーチン氏の独裁政は、国連主導のシリア和平を退け、独自のユーラシア地政学に立脚した中東におけるロシアの権益の維持・拡大を譲ろうとしません。
イランにおいては、ハメネイ最高指導者とハッサン・ローハニ大統領、聖俗二つの流れを軸にした寡頭政が、それぞれ内部対立をはらみながらも、「新月の弧」とでも申すべきシーア派の「弧」によって、肥沃な三日月地帯(Ferrtile Crescent)を覆い尽くそうとする勢力圏をつくりあげることに成功しました。
今、私が「新月の弧」と定義した地域は、繰り返し申し上げると、テヘランからバクダッドの湾岸地域を経てダマスカス、さらに地中海沿岸のシリアのタルトゥス、レバノンのベイルートに至るシーア派の「三日月地帯」を意味しています。
他方、議会制民主主義が長く保たれ、中東では稀有な法の支配が確立していたトルコの民主政では、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の政権が長期化することによって、ポピュリズムと衆愚政治の色彩が強まっています。
●核の先制攻撃が一度はできる「非対称エスカレーション」
こうして、北東アジアと中東で...