●「サービソロジー」は「サービス学」から生まれた
産業戦略研究所の村上輝康です。これから「サービソロジー」をテーマに、何回かお話をしていきますが、この言葉は日経新聞紙上に2017年8月に初めて現れた言葉です。おそらくほとんどの皆様は、初めてお聞きになる言葉ではないかと思います。
サービソロジーは、"service"という英語に、学術を表す"ology"をつけて"serviceology"とした造語です。2012年、サービス学会ができた時に、その学会名として誕生しました。「サービス学」ですので、サービスイノベーションの実現を目的として、サービスに対する科学的・工学的アプローチをすることが、大まかな概念となります。
こういう学術分野での変化を、どうして企業経営や政府の政策や実際の施策に関心を持たれる方にお話しするのかと申しますと、サービソロジーが最近、どんどん経営に活用され始めているという現象があるからです。
サービス産業の生産性向上というテーマは、日本経済を再び力強い成長軌道に乗せるための切り札だといわれて久しいのですが、これまではそのきっかけがなかなかつかめないまま来ました。サービソロジーが一つのきっかけをつくるのではないかということを重要なテーマとしてお話ししようということです。
●「産業も戦略を持つ」と考え、耳を澄ましてきた私
これからその一連のお話を差し上げますが、まず私の簡単な自己紹介をしておきたいと思います。
私は野村総合研究所の設立直後に入所して、ヒラのリサーチャーから管理者、経営者として、野村総合研究所が東京証券取引所に上場するまで33年間、リサーチ・コンサルティングの現場で活動をしてまいりました。その後は理事長という形で、産官学のいろいろな世界で発言をしてきました。
私の活動を貫く基本的な考え方は、「産業も戦略を持つ」ということです。国が戦略を持つのは当たり前で、企業もしっかりした当事者がいて独自の戦略を持っています。産業では当事者があいまいだという事情はありますが、産業も自らの成長とサバイバルを賭けた明快な戦略を持つというのが、私の基本的な考え方です。私はエネルギー、エレクトロニクス、社会システム、ITなど、いろいろな分野で活動をしてきましたが、一貫して行ってきたのは、産業がその時代に特定のものとして持つ戦略に耳を澄まし、その声を社会に届けるということです。
野村総合研究所退職後は、個人シンクタンクとして産業戦略研究所を設立しました。現在はもっぱらサービス産業の生産性向上やサービスイノベーション、今日お話しするサービソロジーといった活動をしています。それは、21世紀が5分の1ほどたとうしている現在、最も重要な産業戦略上の課題は、サービスイノベーションやサービソロジーであると考えているからです。
●サイエンスがサービスに目を向け始めた21世紀
サービスを産業戦略上の重要な課題と考えるのは、何も日本だけではありません。
サービスにとって、2004年は非常に重要な年です。1980年代に日本たたきに精を出していた全米競争力評議会が、この年に重要なレポートを出しました。「Innovative America」というタイトルですが、「パルミサーノレポート」と呼ばれます。このレポートの中で、歴史上初めて、目に見えないサービスに対してサイエンスという言葉がついて、「サービスサイエンス」という言葉が誕生しました。報告書の中でサミュエル・パルミサーノ氏は、「サービスサイエンスは、21世紀のイノベーションの中で非常に重要な役割を果たすだろう」と述べています。
16世紀のガリレオ・ガリレイの時代以来ずっと、科学的・工学的なアプローチは、蒸気機関車、テレビ、自動車、抗生物質、ロケット、人工衛星など、モノの世界に貢献するべき行為とされてきました。21世紀になって初めて、サイエンスが目に見えないサービスに光を当て始めたということです。
発表当初は、アメリカでもこのような分野を研究する研究者はまれでしたが、2009年にはすでにOECDで米欧日を含めて250以上の機関が同様の研究を始めていると報告されています。現在ではすでに500を超えて、なおも増え続けているのです。サイエンスの世界に、「静かな革命」が起こりつつあるということかと思います。
●日本にサービス科学研究開発:スフィアが発足
こういう考え方は、2年ほど遅れて日本にも入ってきました。2007年には、産官学でサービスイノベーションに取り組もうという目的を持った新しい経済団体「サービス産業生産性協議会(SPRING)」が設立されました。翌2008年には、サービスをエンジニアリングの対象にしようということで、産業技術総合研究所に「サービス工学」研究センターができました。
このような取り組みを経て2010年に満を持して、国のサー...