●理にかなった「十文字鍛え」の方法
質問 縦に割ったのはなぜですか?
松田 昔は、弟子が向槌を叩きました。私などは、コバを出されて叩くと、細いので狙うのが大変で、外したりしたものです。本当はそのまま叩いていく方が、叩く側も楽だし、仕事も速くなります。妙に仕事をきれいにしようという思いで横に伸ばしていくと、時間も長くかかるし、脱炭も進みます。
だから、叩きっぱなしにする必要があります。ただ、そうすると横に広がってしまいます。だから縦に切らなければなりません。それで、縦に切ると、今度は細長くなるから横に切る。それは昔から「十文字鍛え」と呼ばれてきたやり方です。
向槌を叩くのは、そういった意味があったと私は確信しています。コバを叩くと、鍛錬の時間が長くなりすぎてしまうのです。
●刀鍛冶に文句を付けるのは横座に座ったことのない人
質問 『日本刀・松田次泰の世界─和鉄が生んだ文化─』(雄山閣)の中にある、下鍛えの部分で「泥水をかける」とはどういう意図なのか、教えていただけますか。
松田 風が直接鉄に当たらないよう、ガードするためです。だから、泥が溶けたタイミングで出していますが、沸かしが足りないと、泥がくっついたままということも時々あります。
一般には、火から出したときに泥がたらたらと垂れるような状態がいい鍛錬だといわれていますが、脱炭しやすくなるので、ここではそれほどの温度にはしません。
「風は当たっていないはずなのに、どうして付くのだ。その酸素はどこから来ているんだ」と東京工業大学の先生に言われたことがあるのですが、その時は「さすがだな」と思いました。
文句を言う人たちは、ここへ座ってみたことのない人、つまり映像などでしか刀鍛冶を知らない人です。そういう人が刀鍛冶にどうこう言うのはどうなのか、それはおかしいのではないかと、私は弟子の頃から思っていました。ただ、昔の刀の再現は誰もできていないので、こちらが正しいとも言い切れないのです。
●鍛えの中間プロセスに「地肌」づくりのポイントがある
質問 上鍛えと下鍛えで、大きな違いはありますか。
松田 非常に大きな違いがあります。下鍛えだけでは量が少ないから、上鍛えを1枚加えるということがありますが、私の中ではもっとずっと大きな違いです。
地鉄(ジガネ)に板目や杢目(モクメ)が出るのを「地肌」と言いますが、江戸時代の新刀からはもう地肌は出てきません。いろいろな理由があって、「肌目」がなかなか出てこなくなったのだろうと推察されます。
ところが、私の刀には平成元年あたりから地肌の板目や杢目が出るようになりました。そして平成8年の刀では「刃が白く見える」と言われました。それは、条件として古いものと一緒だということです。そして、その境目が、実は下鍛えと上鍛えの途中にあります。
これは、刀鍛冶が普通にやっていることです。ただ、なぜそれをやるのかという指針が本人自身の中にありません。ただ教わってやるとか、こうした方がいいのではないかというレベルでやると、地肌として出てこないのです。
●傷と地肌の関係を、ルーペで一目瞭然する
松田 例えば、『景光』という古い刀を、5倍から10倍のルーペで拡大して見ます。すると、その刀の持っている肌模様がやや荒く見えてきます。そのとき、刀じたいにはちょっとした傷というか、鍛接面のくっついていない部分が見えるのです。研ぎ上がると、それが非常に美しい地肌になってきます。
5倍から10倍ぐらいに拡大したときの傷の大きさを自分で覚えておいて、次に自分で鍛錬した刀を同率で拡大してみると、二つの傷の大きさが違うことに気付きます。
新刀から現代刀にかけて、傷はほとんどありませんが、鎌倉時代のものには結構あります。一般に傷は良くないもの、傷のないものが良い刀だといわれていましたが、実は古刀にも傷はあるのです。
二つの傷の大きさを比べてみて、どこで合わせられるのかを考えていくと、どうも下鍛えか上鍛えの間のちょっとしたことで地肌が出るのです。
傷は、もともと玉鋼の状態からあり、もっと大きな傷としてボツンボツンとあるのです。それを満遍なく散らしていくことで、傷の大きさが調整されていくのです。
●同業者に伝承が難しい「傷」の散らし方
松田 このことは、テクニックとして教えてあげることはできます。そうすると誰でも1回や2回はできます。ところが、鍛冶屋というのはいろいろと考えるものなので、「ああした方がいい」「こうした方がいい」「松田はこうやっていると言ったけど、実は違うだろう」と、思いが錯綜します。
まず、「まともに教えてくれないだろう」と疑うところから始まります。「あいつは絶対にうそを言っている」と皆、思うのです。ただ、私は本当の...
(作・画 かつきせつこ 企画 松田次泰/かつきせつこ 発行 株式会社 雄山閣)