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零戦の開発段階で起きた2つのフラッター事故の教訓

航空機事故ゼロをめざして(1)フラッター現象とは何か

鈴木真二
東京大学大学院 工学系研究科 航空宇宙工学専攻 教授
情報・テキスト
航空機の墜落事故は悲惨だが、人類はこれまで飛行を禁止するのではなく、事故原因を究明し対策を講じる道を選んできた。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻教授の鈴木真二氏が、航空機の事故の歴史を振り返り、その安全性について解説する。零戦創成期に起きた2つの墜落事故は、フラッター現象によるものだった。(第1話)
時間:15:01
収録日:2017/10/30
追加日:2018/02/02
≪全文≫

●航空機の墜落事故は非常に悲惨だ


 東京大学大学院工学系研究科・航空宇宙工学専攻の鈴木真二です。今回は、航空機の安全性に関してお話したいと思います。

 航空機は統計的には、非常に安全な乗り物です。アメリカのデータでは、1億人マイル(延べ移動距離:旅客の乗客×移動距離)当たりの死亡者は0.01人です。これは、列車やバスの5倍、自動車の7倍近くも安全な数値ということになります。ただし、墜落事故は非常に悲惨です。社会的にも経済的にも大きな影響を与えます。旅客機が1機墜落した場合、その経済損失は4.5億ドル、つまり500億円にもなると試算されているのです。

 航空機が飛び始めつつあった1911年、『フライト』という航空雑誌の記事には、次のような記述が見られます。「友の不幸は人生最大の教訓」という言葉があるが、不幸にも航空においてこの言葉は事実である、と。当時は航空機事故が非常に多発していました。しかし人類は飛行を禁止するのではなく、事故の原因を究明し、対策を探る道を選んだのです。それほど飛行は人類にとって魅力的なものであったといえるでしょう。


●ライト兄弟は最初の航空機事故にも関与していた


 航空機事故は、どのように定義されているでしょうか。国連の専門機関に、ICAO(国際民間航空機関)という組織があります。民間航空に関する国際的な取り決めを行う団体です。ICAOの定義によれば、航空事故とは、飛行する意図を持って人が航空機に乗り込んだときから降りるまでの間に、人の事故、死亡または航空機の実質的損害が発生することです。

 1903年、人類で初めて飛行を行ったのはライト兄弟でした。彼らは、最初の航空機事故にも関与していました。1908年、ライト兄弟は航空機の売り込みのために、欧州とアメリカ国内で公開飛行を実演していました。多くの人の前で飛行機を飛ばしたわけです。兄のウィルバーがヨーロッパに出掛けている間、弟のオービルはアメリカに残って、バージニア州で陸軍の評価試験を行っていました。このとき墜落が起きたのです。隣に同乗していた陸軍中尉が最初の犠牲者となりました。

 事故の原因はプロペラです。ライト兄弟の飛行機は大きなプロペラを2つ付けていました。プロペラはスプルース材を3枚接着してできたもので、飛行中にプロペラが破損し、墜落事故になってしまったのです。この事故をきっかけに、飛行機を操縦する者、また搭乗する者にはヘルメットを装着することが義務付けられるようになります。スライドの写真は、事故の状況を捉えたものです。右の写真は、オハイオ州デイトンにあるアメリカ空軍博物館に保管されている、プロペラの残骸です。

 日本で最初の航空機事故は1913年に発生しました。日本で最初に飛行を行ったのは、徳川好敏・日野熊蔵大尉です。1910年12月、代々木練兵場で欧州から購入した2機の機体を飛ばしたのです。その3年後、最初の事故が起こります。青山練兵場から所沢の飛行場への帰路、木村鈴四郎・徳田金一両中尉の乗るブレリオ機は、左翼が破損して空中分解してしまいます。結果的に、機体は所沢に墜落しました。事故の原因は、翼を支えるために張られていた、張り線と呼ばれる線が脱落したためと考えられています。


●零戦の開発段階で起きた2つのフラッター事故


 このように、初期の航空機事故の多くは、技術的な問題が原因でした。例えばライト兄弟の場合、製造上の問題がありました。日本での最初の事故のように、整備が完全にできていなかったために起きた事故もありました。その後、こうした製造上・整備上の問題は徐々に克服されていきますが、航空機の高性能化に伴い、今度は設計や開発上の未熟さが原因で起きる事故が目立ってきます。

 今回は零戦の開発段階で起きた2つのフラッター事故を取り上げ、次回は第2次世界大戦後、世界初のジェット旅客機として就航した、イギリスのコメットの空中分解事故を取り上げたいと思います。

 零戦は1939年4月に初飛行しましたが、翌年の3月、試作2号機が空中分解して、写真のような墜落事故を起こしました。原因は昇降舵に取り付けられたマスバランスが欠落して、尾翼、また機体全体でフラッターが発生したと考えられています。フラッターについては後ほどお話しします。

 さらにその翌年の1941年4月、再び零戦にフラッター事故が発生します。41年には零戦はすでに実戦に投入されていましたが、21型140号機が試験中に事故を起こしたのです。主翼の先端に付いている、エルロンという補助翼が脱落したのでした。それもフラッターによるものですが、この時はパイロットの巧みな操縦によって緊急着陸に成功します。しかし翌日、この現象を確認するための飛行中に、下川万兵衛大尉が墜落して命を落としました。両者ともに、フラッターの対策技術が未熟であったということ...
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