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ローマ帝国3人目の悪帝が受けた「記憶の断罪」

フラウィウス朝時代(4)ドミティアヌスの恐怖<下>

本村凌二
東京大学名誉教授/博士(文学)
情報・テキスト
ナヴォーナ広場
ドミティアヌスの治世は81年から96年にかけての15年間。その間に競技場建設をはじめ多数のインフラ整備が行われた。首都ローマばかりでなく属州への目配りも大切にした皇帝は、兵士たちも優遇する。そんな彼がなぜ「記憶の断罪」に遭わねばならなかったのか。東京大学名誉教授・本村凌二氏に、ドミティアヌスの時代をご案内いただこう。(全5話中第5話)
時間:13:38
収録日:2017/11/17
追加日:2018/04/10
≪全文≫

●相次ぐ陰謀の密告と皇帝の恫喝


 神経質なドミティアヌスのもとへ、実際にあったかどうかは別として、何度も陰謀事件や陰謀らしきものが密告されてきます。そのたびに彼は取り調べを行い、処刑することもあったでしょう。そうしたことを繰り返す中で膨らんでいった彼の猜疑心や神経過敏さを示す有名なセリフが残っています。

「皇帝というものは哀れなものだ。陰謀計画があっても、それが本当に陰謀計画であったかどうかは、自分が殺されない限り証明されない」

 「証明される」前の段階で処理しなければならないわけですから、グレーな人たちは全て処刑するなどの手段を取る場合もあったでしょう。そのため、彼の残酷さが表に出るようになります。例えば、元老院貴族たちを全員宮廷に集めて照明を消し、薄明かりしかない暗闇の中でゲラゲラ笑い出すシーンが伝えられています。

 「おかしくてしようがないよ」と彼は言います。「自分の合図一つで、お前らの首は飛ぶんだから。そう考えるとおかしくてしようがない」

 元老院貴族たちに対して、こうした脅しや威嚇のような言葉を平気で放つものだから、ますます周りの貴族からの反感は募ります。中には、自分がいつ殺されるか分からないのであれば、逆に皇帝を殺した方がいいと考える者も出てきます。それほどに、ドミティアヌスは元老院貴族たちにとっては非常に警戒され、恐れられる人物になっていきました。


●逼迫した財政のため有力者の処刑、そして暗殺へ


 財政問題、とりわけ軍事費による逼迫については、もう一つ事情があります。兄のティトゥスが若い頃、対ユダヤ戦争でリーダーとして活躍していたのに対し、ドミティアヌスには軍人としての功績がありませんでした。なんとか自分も功績を立てたかった彼は、ドナウ方面に軍隊を派遣します。大した勝利ではないものの、それなりの成果は確かに収めます。当然ながら、それには軍事費もかかることになりました。

 また一方、民衆の機嫌も取らなければいけません。彼はローマ市中に新しい競技場を造り、そこでおそらく戦車競走を行ったと考えられています。現在のローマへ行くと、楕円形のナヴォーナ広場があります。大規模な「チルコ・マッシモ」に比べれば小さいですが、そこが戦車競走に使われたらしいのです。かつては「ドミティアヌスの競技場」と呼ばれた場所が、現在はナヴォーナ広場と称されています。

 そのように民衆の機嫌を取り、軍人としての軍功を挙げるために動き、さらには兵士たちを優遇し手厚く扱ったために、とにかく財政が逼迫していきます。逼迫した分は、有力者の処刑による財産没収という常套手段でしのいでいくのです。元老院貴族たちからすれば、自分の財産も命もいつ狙われるか分からないということで、非常な恐怖心に苛まれていくわけです。

 ドミティアヌスはこうして、カリグラやネロ以上に大変恐れられた皇帝になっていきました。兄のティトゥスと10歳以上歳が離れていた彼は、30歳前後で皇位に着き、15年ほど皇帝を務めました。その後半においては、とにかく恐れられた皇帝でした。彼に対する陰謀事件がどこかしらで勃発し、それを知るたびに皇帝の猜疑心は高まっていきます。そのような中、結局は側近たちが一致し、彼の妃までが加担する形で、ドミティアヌスは暗殺されてしまうことになります。


●「悪政」は性格の問題か、器の問題か


 このようなドミティアヌスの生涯を見て、後のローマの歴史家たちは疑問に思いました。兄ティトゥスの治世は短かったので、最初の「善帝」のままで通せたものの、それ以降がどうなったか、本当のところは分かりません。30歳前後で皇位に就いたドミティアヌスですら、神経質だったとはいえ、最初は行政をきちんと行おう、規則をきちんと守ろうとして、善政を敷きました。行政努力をし、良き政治を行おうとしていたにもかかわらず、後半の彼は、露わになった自分の性格に押しつぶされていったのではないか、と。

 私も、ドミティアヌスの最大の不幸は、神経質で猜疑心の強い彼自身の性格にあったのではないかと思います。父親のようにおおらかな性格で、あまり細かいことにこだわらずにやれたら良かったのに、属州行政まできちんとチェックしないと気が済まないような性質です。おそらく彼は、ナンバー1にならなければ、それなりの役割を果たした人だったでしょう。ところが、ナンバー1になったがために、皇帝としての後半に神経質なところや猜疑心の強さがだんだん表面化してしまい、彼自身の不幸につながってしまったということです。

 人間の「器」のようなものを考えたときに、ナンバー2かナンバー3でいれば「良き人」として憎まれずに済んだかもしれないドミティアヌスが、ナンバー1になったために恨みを買うことになった、ある意味不幸な人物であった。...
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