●今の東京は言葉が漂白され、個性が消えている
―― 東京は快適・安全・清潔な街になりましたが、結果として競争力を失い、ものを考えない人たちの集団になってしまったのは皮肉ですね。
真山 そうですね。とは言え、東京は地方より競争しています。通勤電車の1カ月の定期券を買うにも並びますし、ラーメン1杯食べるためにも並んでいるわけですから、ある種の競争はしているのです。ただし、生存競争をする必要はなくなっています。逆に、目立たないようにする努力というのでしょうか、そうしたものはあります。私は関西で生まれ育ったので、東京に来た時、言葉が漂白されているなと思いました。
言葉を聞いても、その人の出身はまず分かりません。でも大阪なら、「おまえ、京都やろ」、「おまえ、大阪やんな」「河内やろ、自分」という具合で、語尾や言葉遣い一つで、関西の中でも、すぐに出身が分かります。しかもそれでキャラクターまでできてしまうのです。それに対して東京生まれといっても、「江戸っ子だい」と会社の会議室で言うような人はほとんどいません。基本的にはNHKのアナウンサーと変わらない言葉を使っています。これは没個性です。ある意味、日本語としての標準語の漂白感は、「この大都会では競争しないでください」「できれば個性は出さないでください」「個性を出すなら、おうちに帰って1人になってからにしてください」という考えが染み付いているからではないでしょうか。
今の東京は非常に人工的で、競争せずに豊かなものだけを取り入れ、お互いの出自を見せないことでバランスを取っているようなところがあるのだろうと思います。
だから特に目立つのは、私もそうですが、関西人が東京で関西弁を使いにくくなっているということです。逆にいえば、東京の人は関西弁に興味を示します。昔聞いた話ですが、大阪環状線という東京の山手線のような路線で、「東京から来た人が電車から降りない」と言うのです。「どうしてか」と聞いたら、「電車に乗っていると、女子高生や男子高生の喋っている話が漫才を聴いているようで面白いから乗り続けていたくなるらしい」と言うわけです。ただ、かつてはそれぐらい関西弁が飛び交っていたのに、最近ではそういうことも減ってきました。
●関西の東京化が日本を弱くしている要因か
真山 東京とは違う強みを芯に持っていた関西の個性が薄らいできていて、そのことがもしかすると日本を弱くしているもう1個の理由かもしれません。東京の人が嫉妬するぐらいの街にならなければいけないのに、東京ナイズされているからです。関西の人は「東京にないものをつくったら勝ちやで」と本気で思っています。そもそも関西的な文化は東京にはないのですが…。
私は出身が大阪で、大学が京都で、現在の住まいが神戸です。つまり、東京の人が大好きな三都に住んだことがあるのですが、それぞれの主張がありますし、ひとくくりにできるものではなく、決して仲良くはありません。でも、その中で均衡を保っていることこそが関西の強みだと思います。にもかかわらず、今は何となくまとまってしまい、「東京の人が関西って呼ぶんなら、関西でええやん」ということになっています。実際にはそう思っていないのに、変に東京を意識したり、あるいは東京に日和ったりしているというのは、日本を弱くしている要因ではないでしょうか。
●東京を舞台にしないと小説は売れない!?
―― 地方に行くと駅が同じようになっていて、店はロードサイドにしかないというイメージがあります。
真山 おっしゃる通りです。例えば、新幹線の駅が城の中といった個性的な駅が一つぐらいあっても良いのに、そうしたところはありません。やはりそこにあるのは、「東京的なるもの」に対する憧れでしょう。例えば、私はこのルールを守っていませんが、日本の小説の世界では、東京を舞台にしない限り売れないといわれています。読者の圧倒的多数が東京にいて、首都圏に人口の3分の1ぐらいいるという状況です。さらに、小説に飢えているのは東京を中心とした首都圏だということです。
だから、例えば宇都宮や新潟を舞台にするとなると、旅情ミステリーにして東京の人がそこに行くというストーリーでなければ駄目だということです。私がデビューした頃はそれが鉄則だといわれたのです。
一方、アメリカには、ほとんどの州と都市を舞台にした名作がたくさんあります。例えば、東海岸だとニューヨークとワシントンがあるし、西海岸だとサンフランシスコとロサンゼルスがあります。また、日本人だと地図で探せないような場所を舞台にした、とても有名なミステリーがたくさんあるのです。イギリスでも、ロンドンやスコットランドの中心地以外に、名作の舞台となった場所が非常にたくさんあります。
それが日本の場合は、「東...