●世界史教育の重要性と困難
立命館大学食マネジメント学部教授の南直人です。今日は、「食」から世界史を考えるというテーマでお話をさせていただきたいと思います。
高等学校のカリキュラムに必修の「世界史」という科目があります。この科目は、自国以外の国や諸地域の歴史を包括的に学習することを内容とする科目です。実は、中等教育段階でこのような科目がカリキュラムの中に組み込まれているのは、世界的に見れば珍しいことです。
こうした科目が設定されたのは、戦前のわが国の姿を深く反省した上で、そういった過ちを繰り返さないように、グローバルな視野を持った人を育てるためです。少なくとも社会科学系の学問を勉強する上では、世界史、特に欧米の近代史の知識は不可欠です。現在のようにグローバル化が進んでいる状況では、世界史の知識はますます求められるようになっていきます。このことは、第1線で活躍している皆さんも実感できることだと思います。
しかし、世界全体の歴史を見渡すというのは、至難の業です。現在、高校の世界史の学習は、知識を詰め込む内容になっています。そのこともあり、世界史嫌いの生徒が数多く存在するという、困った傾向が存在します。
●「食」という視点から世界史を読み解く
そこで私が提案したいのが、「食」という視点から世界史を読み解くことです。「食」というのは、人間の生存の基本であり、食をめぐる人間のさまざまな活動が歴史をつくってきたといっても過言ではありません。その意味で、あらゆる歴史的事象は、「食」と結び付いています。しかも他方で、「食」は日常的で身近なものであり、多くの人にとって関心を寄せやすいテーマです。
最近では、世界史の教科書の中でも、「食」に関する記述が増えています。最新版の『詳説 世界史B』(山川出版社)では、冒頭の世界史の扉という部分で、4つの話題が取り上げられています。そのうちの2つが「食」に関連するものです。1つは、気候変動が人類の歴史に大きな影響を与えてきたという話の中で、17世紀の寒冷化による食糧不足とその下でのジャガイモの普及という話題が取り上げられています。もう一つは、砂糖から見た世界史であり、世界商品である砂糖を中心に、中南米の植民地化や奴隷制プランテーションが生み出される歴史の展開が説明されています。
さらに、こうした「食」の歴史は、日本の歴史学会ではあまり注目されていませんが、欧米を中心とした海外の歴史学会では、爆発的といっていいほどのブームになっています。
では具体的に、「食」から見た世界史ではどのようなテーマが立てられるのか。この後、今日につながるグローバル化の直接の起源と目される、いわゆる大航海時代に注目し、これを「食」という視点から眺めてみます。
●後の世界史に大きな影響を及ぼした「コロンブスの交換」
この時代に、後の世界史の展開に極めて大きな影響を及ぼす事象が生じています。「コロンブスの交換」と呼ばれる事象です。ヨーロッパ人が、アジアやアメリカへと進出・侵略していくことによって、多数の人間が長距離を移動していく。それに伴い、動植物や微生物に至るまで、地球規模での交流が始まりました。
この歴史的事象を、その時代を代表する人物の名にちなんで、著名な環境史家のアルフレッド・W・クロスビーが、「コロンブスの交換」と名付けました。ここでは、新大陸の生物が絶滅したり、新大陸の生態系そのものが根本的に改変されたりするなど、地球規模での劇的な変化が起こりました。
この「コロンブスの交換」と呼ばれる事象を、「食」という視点から眺めてみます。簡単にいえば、それまでは各大陸で地域ごとに独自に生産されて消費されていた多くの食物が、海を越えて大規模に交換されるようになりました。そして、各地の食文化もまた、この交流を通じて大きく変化していきました。
●「コロンブスの交換」その1:アメリカ大陸原産の食物の世界的な広がり
この変化は、「食」の歴史の観点から、3つに整理することができます。1つ目は、南北アメリカ大陸原産の食物の世界的な広がりです。現在われわれがごく普通に食べている食物のうち、驚くほど多くのものが、実はアメリカ大陸の原産です。つまり、16世紀以前では、旧大陸には存在さえしていませんでした。
その代表的なものとして、まずはトウモロコシとジャガイモを挙げることができます。どちらも、現代の世界各地において、主たるカロリー源として、米や小麦と並ぶ最も重要な食物の地位を占めています。トウモロコシはまた、家畜の飼料としても重要で、世界の畜産を支えています。
原産地は、トウモロコシはメキシコから南米北部、ジャガイモはアンデス高地とされ、いずれもヨーロッパにもたらされた後に、短期間に世界各地...