●松下幸之助の考えは今も生きている
松下幸之助さんが亡くなってから、2018年4月でちょうど30年がたちます。平成元年の4月27に亡くなったので、平成の年号と同じだけ経過しています。もし今も元気であれば、124~125歳くらいになっていると思います。
亡くなってから30年もたちますと、普通は、歴史上の人物というか過去の人物になってしまいます。しかし、松下幸之助さんの本は、いまだにいっぱい出版されています。そして私も、参議院議員を辞めてからのんびりしようと思っていたら、松下幸之助さんの話をしてくれとよく言われます。
そういうことで今でも、松下幸之助という人について非常に多くの人たちが関心を持っています。私自身も、現在までに82冊の本を書いているのですが、そのうちの50冊くらいが松下幸之助に関する本です。新しいものですと、『凡々たる非凡 松下幸之助とは何か』という本をエイチアンドアイという会社から出しました。その前には、東洋経済新報社から、『松下幸之助はなぜ成功したのか』や『ひとことの力:松下幸之助の言葉』という本を出しました。
このように、亡くなって30年がたってもなお松下幸之助さんについて語られていて、あるいは松下幸之助さんについての話を聞いていただける、そういう状況です。その意味では私は、松下幸之助さんは死んでいないのではないかと思っています。
●松下幸之助だったらどう考えるか
人間は二度死ぬと、よく言われています。1度目は肉体的に滅びることです。2度目は人々から忘れ去られることであり、人間はそのときに完全に死ぬ。そのような言葉があります。これは、タレントや俳優が言ったとか、いろいろと言われていますが、実際には随分と古い言葉で、ヨーロッパで使われてきたものだと思います。
私には、松下幸之助さんを殺したくない、死なせたくないという思いがあります。私は、政治家をやっていた時もそうでしたが、今困ったときなどには、松下幸之助さんだったらどう考えるかと、そういった思いで過ごしています。私は、松下幸之助さんのお墓参りをしていない、唯一の松下電器OBになると思います。また、私はPHP総合研究所の社長をやっていた時、隣には空席となる机と椅子を置いてありました。これは、松下幸之助さんの席で、それを用意することで、見えざる松下幸之助さんに問いかけて、それを通じて自分で答える、ということを今でもやっています。
●松下幸之助の経営や考え方には、今と昔を貫くものがある
ですから、私はもっともらしい偉そうな話をするかもしれませんが、それは、松下幸之助さんの掌(たなごころ)から飛び出したものではありません。言ってみれば、お釈迦さまのたなごころから飛び出せなかった孫悟空と同じようなものです。これは自分の考えだと思ってみても、あるとき調べてみれば、松下幸之助さんがすでに言っていたことだと分かるというわけです。江口克彦の考え方がなかなか構築できていないということですが、しかし決して、それを残念だとは思っていません。
では、松下幸之助という人は、なぜ今でも語られているのか。昭和の経営者には、大人物といわれる人たちがきら星のごとくたくさんいました。例えば、本田宗一郎さん、土光敏夫さん、盛田昭夫さん、などがそうです。関西に行けば、芦原義重さんや日向方齊さんがいました。これはという経営者を数えてみると、両手の10本の指では足りないくらいでした。
ですが、今の平成の経営者を考えてみると、これはという経営者は、片手どころか1回か2回指を折るくらいで終わってしまいます。この問題については、また後でお話しします。いずれにしても、昭和には大人物といわれる経営者がきら星のごとくたくさんいたということです。しかし今では、本田宗一郎という人の名前を言っても、ホンダと結び付ける若者はあまりいないでしょう。また、今の若い人たちの中には、ソニーを作った井深大さんや盛田昭夫さん、あるいは土光敏夫さんのような素晴らしい経営者知らない人も多いのではないでしょうか。
しかし、松下幸之助さんであれば、今のパナソニックの創業者であると分かる人が、東京でも10パーセントか15パーセントくらいはいるでしょう。それが関西に行けば、50パーセント以上の人が知っているはずです。このように、素晴らしい昭和の経営者の中でも、松下幸之助さんは、今でも特によく知られています。そして今回のように、松下幸之助さんの経営や考え方について話してほしいと言われます。これは、松下幸之助さんの経営や考え方に、今にも共通するもの、昔と今を貫くものがあるということです。