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ガッルス、ウァレリアヌス、クラウディウス2世の悲惨な最期

軍人皇帝時代のローマ史~ローマ史講座Ⅹ(3)捕虜や疫病-悲運の皇帝たち

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
概要・テキスト
ウァレリアヌス
紀元251年から270年の20年間は、軍人皇帝にとって受難の時期だった。自分を盛り立てる兵士たちの信頼を失って暗殺の憂き目に遭う者もいれば、ローマ史上初めて敵軍の捕虜となってしまった皇帝もいる。今回は、ガッルスからクラウディウス2世までの軍人皇帝たちについて語る。(全6話中第3話)
時間:10:17
収録日:2018/08/29
追加日:2019/01/17
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≪全文≫

●ローマ兵士たちから信頼を得るには


 デキウスが戦死した後はガッルスという皇帝が出てきますが、彼の治世もたった2年でした。彼の場合は軍団の信頼を得られなくなったため、兵士たちからだんだん憎まれていき、結局は軍団中の兵士に殺されてしまうという最期でした。治世は、紀元251年から253年までです。

 その後、アエミリアヌスという皇帝が即位します。アフリカのジェルバ島生まれです。彼は北方戦線を担当しますが、やはり最終的には兵士たちの信頼を得られない人でした。兵士の信頼を得るためには、兵士の給料をよくするか、実戦での成果をあげるかの二つの方法を取らねばなりません。

 この時代、兵士たちは非常に気が立っています。もちろん時には休みたいこともあったはずですが、北方戦線などで、皇帝たちがゲルマン民族と金銭的な取引をして講和に向かうような動きを大変嫌いました。

 彼らローマ軍の兵士たちは、ローマ人同士で戦う内乱というかたちを忌み嫌いました。第1回講義でお伝えしたマクシミヌスのときにも、兵士たちがローマに進軍するのを嫌い、皇帝そのものを殺してしまうようなことが起きていました。しかし、敵がゲルマン民族やペルシャ人である限り、兵士たちは競って軍事的功績を立てようとするのでした。結局、アエミリアヌスも、帝位に就いた年のうちに殺されてしまうことになります。


●捕虜になったローマ皇帝ウァレリアヌス帝


 その後、ウァレリアヌスという皇帝が立ち、息子のガリエヌスとともに元老院による公認を受けます。かつてのゴルディアヌス1世・2世と同様の共治帝です。ゴルディアヌス家の場合は由緒正しさが認められましたが、ウァレリアヌスとガリエヌスの出生地の詳細は不明で、バルカン半島ではないだろうと考えられています。

 元老院貴族から見るバルカン半島は、ローマ・イタリアに比べると田舎の野蛮な地域と見なされ、その出身者であるだけで、あまり望まれませんでした。元老院がウァレリアヌスとガリエヌスを父子ともに皇帝として認めた、そのことには、彼らがそれなりの由緒正しさや教養、富裕な生活など、貴族的らしさを持っていたことの片鱗がうかがえます。

 元老院貴族によって同時に皇帝に迎えられた二人のうち、父親のウァレリアヌスは7年ほど帝位に就き、それなりの善政を行いました。彼は、北方戦線の一部勢力を息子に任せ、自分はパルテ...
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