●「対応の政治」にあたって~熊本広域大水害で示した三大原則
次の「対応の政治」はまた難しいのです。政治家がコントロールできないことが起こるのです。
例えば災害。私が知事の間は熊本県では絶対、災害が起こらないだろうと楽観的なことを思っていました。ところが、平成24年7月12日、熊本広域大水害、阿蘇を中心とする大水害が起こって、なんと死者が23名、行方不明者がいまだ2名、いらっしゃるのです。それから、家屋の被害が3000棟以上。これは大きな災害でありまして、私はソウルにいたのですが、すぐ全てをキャンセルして熊本に戻ってきて、対策本部長になりました。
そのときに、三つの対策、方針を示しました。一つは、被害に遭われた方々の痛みを最小化するということ。これが第一原則。第二原則は、ただ元に戻すだけではなくて、創造的な復興をしようということ。第三原則は、この復旧、復興を将来の熊本の発展のために貢献できるような形で行っていこうということ。これらの三原則を示したのです。
しかし、実際には死者をどうやって探すかとか、それからどうやって復旧するかとか、どのようにこの家屋の被害を救済するかなど、もう混乱の極みなのです。そうした混乱の極みの中で三原則などと言ったものですから、職員はとても混乱し、あるいは困惑したのではないかなと思うのです。でも、さすが熊本県庁の職員は、三原則に沿ってやってくれました。
●木造の仮設住宅建設で、痛みの最小化を実践
第一原則の痛みを最小化するということについての一つのサンプルは、仮設住宅を県産木材でつくろうということでした。そして、普通2年間で仮設住宅の貸与は終わりなのですが、もし出られない人がいたら、それを改修することによって長く住めるような形の仮設住宅をつくろうということで、木造で仮設住宅をつくりました。建築家の伊東豊雄さんの支援によって、皆が集える「みんなの家」もつくろうということになり、木造としました。これこそ、痛みの最小化です。
もうすぐ7月になりますが、2年間でまだ仮設住宅から出られない人がやはり半分近くいるのです。ですから、よかったなと思います。あの時に仮設住宅を木造でつくることによって、少しは皆さんの痛みが少なくなったのではないかと、そのようなことを思っています。
●白川の河道付替でみせた、創造的復興
それから、創造的復興、これは難しいのです。だいたい災害の復旧というのは、元に戻すことが復旧なのですが、創造的復興を実現するには、復旧をもっと超えた形にすることが必要です。
一番被害が大きかったのは、白川という熊本市内を流れているもっとも大きな川の周辺でした。この白川が蛇行しているところがありまして、そこにたくさん家が建っているのですが、それが今回浸水被害を受けたのです。浸水被害を受けたということは、また水害が起きた時に、再び浸水被害が起きるということです。
ですから、その河道を付替し、また、浸水被害を受けた方々には移転してもらうことにしました。200数十戸ありましたけれど、そういう形で大胆な河道付替をすることとしました。
加藤清正というのは、熊本で有名な大名で「治水の神様」と言われているのですが、その加藤清正以来の大改修だというように言われています。そういう意味では、創造的な復興です。
●熊本のさらなる発展に結び付く復興の形~中九州横断道路
もう一つの、熊本のさらなる発展につなげるということについて言えば、ずっと大分と熊本の間には高速道路がありませんでした。私の夢は、熊本が将来州都になることで、全ての九州の県の県庁所在地が熊本県に道でつながる、そういったことを夢見ていたのです。ですから、大分と熊本を結ぶ、県境近くの滝室坂という峠がこの大雨で崩れてしまったので、トンネルを掘ってくださいと、国土交通大臣に頼みました。トンネルを掘って、中九州横断道路、これは大分と熊本の間の高速道路ですが、これを作っていただきたいということを頼んだのです。
このように、私はいつも転んでもタダでは起きないで、三つぐらい石を拾って起きてくるのですが、このトンネルに関しては1年以内にオーケーが出まして、今、滝室坂にトンネルが計画され、そのトンネルが将来の中九州横断道路になるというわけです。
われわれの一番の望みは、この大洪水を経験することによって、望みがかなえられたということです。今回は、将来の発展につながる形で、この復旧、復興ができているなというように思っています。これが「対応の政治」。
●鳥インフルエンザ対策における「対応の政治」四つの原則
「対応の政治」というのは、そういう意味では、さまざまな面があります。直近で言うと、鳥インフルエンザです。これは、平成26年の4...