10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
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政治家が線香を持参してお供えすることは公職選挙法違反

政治家としての原点、そして挫折と再生

小野寺五典
衆議院議員/元防衛大臣
情報・テキスト
「塞翁が馬」とは、小野寺五典氏のための言葉ではないだろうか。公務員を辞めるきっかけは「文句は政治家になって言え」の一言。トントン拍子の初当選から2年後には議員辞職を余儀なくされる。しかし、その後のつらく苦しい期間が奮起への力を養うことになる。人並み外れたアップダウンの激しさが、小野寺氏の政治キャリアを磨いてきた。
時間:12:43
収録日:2014/06/17
追加日:2014/07/17
「塞翁が馬」とは、小野寺五典氏のための言葉ではないだろうか。公務員を辞めるきっかけは「文句は政治家になって言え」の一言。トントン拍子の初当選から2年後には議員辞職を余儀なくされる。しかし、その後のつらく苦しい期間が奮起への力を養うことになる。人並み外れたアップダウンの激しさが、小野寺氏の政治キャリアを磨いてきた。
時間:12:43
収録日:2014/06/17
追加日:2014/07/17
≪全文≫

●漁業の町を襲った不況と県出身総理の姿で政治に遭遇


小野寺 私が政治家を志したきっかけは、生まれ育った環境にあると思います。私は、宮城県の気仙沼で生まれ育ちました。今回の東日本震災で被害を受け、全国の多くの皆さまからご支援をいただいた場所です。

 生家は小さな旅館で、今も営業しております。日本の漁業が非常に元気がよかった頃で、お客さまは主に漁師の方でした。サケやマスをとりにどんどん遠洋に進出していき、大変景気のいい時代でした。

 そういう時代の気仙沼に生まれ育ち、景気のいい町を見ていたのですが、あるときから町が変わりました。どういう経緯だったのか、国際交渉によって日本の漁業が世界から押し出される状況に直面したのです。漁船は次々に廃業していき、漁業が廃れ、町はどんどん斜陽になりました。そういう現場をつぶさに見ていく中、何か政治で解決できることはないのだろうか、と子どもながらに思いをいたした覚えがあります。

 その後、高校生の頃だったと思いますが、岩手県出身で総理大臣になられた鈴木善幸さんが気仙沼に来られました。私は路上でたまたま通りかかった鈴木総理に握手をしていただき、「この三陸のような貧しいところから総理大臣が出たんだ。すごいな」と思っておりました。でも、そこから先の意識の中には、政治というものはほとんどありませんでした。

●行政の矛盾は「政治家になって言え」の一言を浴びる


小野寺 子どもの頃の漠然とした思いや、地元三陸出身の総理大臣を目の前で見た経験から、政治に対していくばくかの気持ちはありましたが、非常に縁遠い話だとも思っていました。実際には私は公務員になり、県庁で主に水産資源等の研究に携わりました。その役所勤めを辞めるきっかけになったのは、行政の中の矛盾だったのです。

 私は、地元河川の生態系を守る仕事に就いていました。ところがある日、自然に恵まれた渓流にブルドーザーが入ってきて、そこらを壊し始めたのです。

 「なんだ、これは」と思い、作業をしている人に「なぜ、こんなことをするんだ」と掛け合いに行きました。すると、「県の土木に聞いてくれ」「土木の事業でやっている」と言われたのです。

 戻って上司に「なぜ同じ川の中で、片方ではしっかり川を守りましょうという事業をやり、その脇に土木が入ってくるのですか」と問うと、「いや。土木のほうが力が強い」と。「でも、それはおかしいではないですか」と食い下がったら、先輩から「そんなことは、政治家になって言うべきだ」と言われました。

●退官後、松下政経塾を経て、37歳で衆議院初当選 


小野寺 先輩の言葉でムッときたのかどうか、そのときに役所を辞めました。ちょうど朝日新聞に「松下政経塾塾生募集」という小さな記事が出ていたのを見て、応募しました。そして、入塾させていただいたため、そこから少しずつ政治のほうに入っていくことになりました。

 初めて政治家になるには、やはり一つのきっかけがありました。政経塾を出てもすぐには政治との縁がなかったので、しばらくは大学の教員をやっていました。そんなときに、ちょうど地元気仙沼の代議士が選挙違反による連座制で議員を辞職することになったのです。後任を探さなければということで、地元の同級生が私に声をかけてくれ、補欠選挙に出ることにしました。

 はじめは無所属の形でしたが、選挙直前に自民党が公認してくれました。その補欠選挙で衆議院に初当選したのは37歳のときでした。
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