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危機管理のプロ・宮城県村井知事と二人三脚で被災地を回る

東日本大震災を振り返る~地元・気仙沼への想い~

小野寺五典
衆議院議員
情報・テキスト
東日本大震災のときの貴重な経験が、今の小野寺五典氏を支えている。果たして震災時はどんなことがあったのか。それが、その後の政治活動にどんな影響をもたらしたのか。当時を振り返りながら、地元・気仙沼への想い、自らの役割について語る。
時間:11:03
収録日:2014/06/17
追加日:2014/07/24
≪全文≫

●村井知事との二人三脚が大きく活きたのは3.11の東日本大震災


―― 待っていてくれた仲間たちがいるということで、村井嘉浩さんというのは大したものですね。

小野寺 その後、結局、村井さんが知事に出たいというときも、孤立無援だったのです。そのとき、自民党の宮城県の県連は、実は別の方を推薦して応援するということになり、村井さんだけが孤立したのです。そこで、これは、あのときの恩返しだということで、私を含め皆に声を掛けて、県議の人が他を向いてもとにかく国会議員で支えようということで、村井さんと一緒に深夜2時3時まで数人で公約を作ったりしました。選挙のときには全面で応援したので、自民党内は多少ぎくしゃくしましたが、私たちは村井さん一本で行くしかないということで進めました。結果としてそれが県民に伝わり、村井知事が誕生しました。

 今でも二人三脚です。この関係が大きく活きたのが、3.11の東日本大震災のときでした。このとき、私は国会にいたのですが、津波で大きな被害を受けているのが故郷の気仙沼でした。次の朝ようやく自分で車を運転して帰るというタイミングでしたが、その前の夜、映像で映し出されたのが燃える気仙沼でした。燃えている地域を見ると、うちの家のところも燃えていて、エリアに入っているわけです。そこには、連絡が取れなくなった母や弟、事務所の秘書など、皆いるのです。全くどういう状況か分からないので、とにかく駆けつけて、すぐ県庁に行き、村井知事に「とにかく頼む」とお願いしました。

 知事は危機管理のプロですから、「五典さん、一緒にやりましょう」ということで、気仙沼に入ってから、毎朝5時に井戸水を汲み、ろうそくを灯すなど、2カ月ずっと避難生活を一緒にしながら、被災地を回りました。

 一番始めにしたのは家族を探すことでした。それこそ避難所の真っ暗な体育館に夜に着いて懐中電灯を照らすと、誰もいないと思っていたところに数百人の方が息を潜めてじっとしているのです。そんな中、一人一人声を掛けて、そこで母親を見つけ、別の避難所に行って真っ暗な中でけがをしている弟を見つけ、別の避難所に行って亡くなったと思っていた地元の秘書を見つけました。その後、暖房も何もないので、一部だけ残った実家の廃屋のところで毛布を探してきて、皆で包まって温まりながらという生活を送らせていただきました。

 そして、県と常に連絡を取りながら、当時の災害救援や人道復興の仕事を一緒にさせてもらったのです。毎朝7時と夜7時に市役所で対策会議をするのですが、そこにいつも来ていたのが自衛隊の現地の調整員で、そこに支援に入ってくれたのが米軍の海兵隊でした。特に気仙沼の大島は孤立した島になってしまったため、津波が押し寄せると船が一切走れません。唯一そこに物資が運べるのはヘリコプターか、もう一つは米軍が持っている上陸用舟艇です。私はヘリコプターで大島に渡り、そこで海岸から上陸してくる米兵を見たら、まるでノルマンディー上陸作戦のような感じでした。大島では、米軍と一緒になって行方不明者を探したり、活動もさせていただきました。実は、そういうところで自衛隊や米軍との個人的な関係ができたと思います。

 それから運命なのでしょう。政権が替わって、内閣の指名のときに全く予期しない防衛という仕事が回ってきました。それで今、安全保障の仕事をしておりますが、そのときにお世話になった米軍との関係を大切にしています。気仙沼の大島の子供たちは毎年夏と冬に沖縄の海兵隊のキャンプに行って、そこでホームステイをしており、今でもその交流は続いています。

●全国の自衛隊部隊視察で震災支援のお礼とメッセージを伝える


小野寺 それから当時、自衛隊は最大規模10万人態勢で被災地を支援してくれたのですが、これは全国から来ていました。今、私が出来ることとして、そのときの御礼をどこかで言えば済むということではなく、全国を回ってそのときの話をする必要があると思ったのです。大臣就任以来、土日を中心に全国の部隊視察をしておりまして、それが間もなく120カ所になります。通常、大臣が部隊視察をするのは、平均10カ所らしいので10倍以上です。

 そして、行ったときには、必ず現在の安全保障環境の問題の話をきちっとしますが、もう一つは、「ここの部隊は、東日本大震災のときには宮城県の女川町に入ってくれましたね」「ここの部隊は、岩手県の陸前高田に入ってくれましたね」「ここの部隊は、宮城県の気仙沼に来てくれましたね」といった、そのときの被災者の一人としての御礼と、それから、「皆さんのおかげで今、復興をちゃんとやっています」というメッセージを伝える努力をしています。

 震災からもう3年が経っていますが、これが今、私のできる精いっぱいのことかなと思っ...
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