●21世紀のリベラル・アーツを定義する
21世紀のリベラル・アーツの話をします。リベラル・アーツに関しては、いろいろ誤解や使用の混乱などがあり、まずリベラル・アーツとは何なのかを明確にしなければなりません。
過去において、大学の一般教養や旧制高校から教養学部に移行した経緯や旧制高校でのデカンショ(デカルト・カント・ショーペンハウアーの略)時代の懐かしい話がありますが、これは切り離して考えます。元をたどると、ギリシャの<自由>七科(文法、修辞学、弁証法、算術、幾何学、天文学、音楽)という古い話を持ち出す必要もありますが、ここでは「21世紀のリベラル・アーツ」を考えます。
参考にするのは、アメリカのリベラル・アーツカレッジの中でもっとも高い評価を得ているウィリアムズ・カレッジです。しかし、日本にリベラル・アーツカレッジを作ろうということではありません。ここは全寮制で小規模の大学という特徴があり、密度の高い教育をしています。また、ウィリアムズ・カレッジでは、オックスフォード大学などとは違った意味で、チュートリアル、つまり教師との対面的な授業や発表をしています。教員一人に対して二人の学生が週1回程度会って議論をするシステムもあります。
●われわれの目指す21世紀のリベラル・アーツとは
ここでリベラル・アーツをどう定義するかです。一つは「Liberal Arts and Sciences(リベラル・アーツ&サイエンス)」、つまりリベラル・アーツとは後ろ側の「Sciences(サイエンス)」の部分を省略しているということで、テンミニッツTVでは、サイエンスをきちんと位置づけたいと思います。
先ほど申し上げたように、ギリシャにもサイエンスもあったわけです。しかし、現代の物理学を語るときに、アリストテレスまで戻らなければならないわけではありません。AI、ロボット、遺伝子操作などのテーマが現代では重要です。ですから、このサイエンスという部分を省略しないことです。
もう一つは、リベラル・アーツの定義の議論でいちばん肝心な問題になりますが、技術や職業教育を行うことではないということです。学部レベルの教育がリベラル・アーツカレッジの特徴ですが、大学院レベルのプロフェッショナルスクール、例えばロースクール、メディカルスクール、ビジネススクールなどとは違います。
そういう意味で、「Arts and Sciences」なのです。アメリカの大学院には「Arts and Sciences」という研究中心のところがありますが、日本でいうとそれは学問・学術研究であり、それを学部でやっているということです。これがリベラル・アーツの位置づけになります。
スティーブ・ジョブズは「アップルのDNAには技術だけでは不十分で、(技術と)リベラル・アーツ、人文学との結婚が必要だ」と述べていますが、ここでジョブズは、アーツとヒューマニティーズ(人文学)を並列的に述べているのです。通常はアーツの中にヒューマニティーズが入るのですが、ジョブズの考えるアーツは、おそらくファインアーツ(美術)あるいはパフォーミングアーツ(演劇・舞踏)だったのではないかと思います。ですが、通常のリベラル・アーツカレッジは、人文、社会科学、自然科学、芸術から成り立っています。その意味でデカンショだけではないということです。
一番大きな違いは、専門と職業は違うということです。初級の学問というものはありますが、教養の学問というものは実はありません。マイケル・サンデル(米ハーバード大学教授)の正義の話(『これからの「正義」の話をしよう』)は、大学の1年生など初学者相手に対する授業であることをお気づきいただけば、いかに入門の授業が大事か、工夫されているかがよく分かります。
●テンミニッツTV流リベラル・アーツは「生きるための知的力」
それでは、テンミニッツTV流のリベラル・アーツとは何なのか。一つは、広い視点から問題を捉えるということです。そのためには歴史や哲学など、視点の長い、視野の広い背景が必要となります。もう一ついえば、根っこを抑えるということです。根本を議論する必要があります。さらにいえば、意思決定に深みを与えるということです。意思決定をするときに、単に技術的な問題に落とし込まずに、その背景となる重要な観点をないがしろにしないことです。別の言葉でいうと、「未知の問題に立ち向かう力」といってもいいかもしれません。
また、特にビジネスや外交、官僚もそうであるように、さまざまなコミュニケーションに活用できる知識であるということです。外国人とのコミュニケーションにおいて、教養が足りずに恥をかいたというケースがよくいわれます。子供の頃から歴史や哲学、芸術や音楽にさらされているヨーロッパの貴族に比べれば、付け焼...