●埴原和郎の二重構造モデル
前回述べたように、昔からアイヌ人、ヤマト人、オキナワ人という3種類の人々がおり、それが現在でも続いているということは分かっています。
この3種類の人たちがどうやってつくられてきたかということを説明するための、現時点での定説ですが、1980年代に主に人骨を比較した研究者が提唱し、論文としては1991年に当時京都の国際日本文化研究センターにいた埴原和郎さんが「二重構造モデル」として提唱されています。
ただ、論文になっていないのですが、それよりも前に、現在もご存命の山口敏さん(国立科学博物館名誉所員)が二重構成ということで、やはりアイヌと南のオキナワの人々には共通性があるといっています。そして本土日本人あるいはヤマト人は、大陸からの稲作農耕民の人たちのDNAをたくさん受け継いだということが骨から推定されるということで、英語では「dual structure model」といいます。というのは、埴原さんの論文はもともと英語で書かれているからです。
スライドには「本土日本人」と書いてありますが、基本的にヤマト人はこのように弥生時代以降、水田稲作を導入した人々の子孫のDNAをたくさんもらっています。ただ、もともとは土着の縄文人がヤポネシアのあちこちにいました。したがって、北のアイヌの人々と南のオキナワの人々は、そのような渡来人のDNAをあまり受けることがなかったのです。このスライドではまだ矢印が到達していませんけれども、埴原さんがご存命の時にお話を聞いたら、多少は当然あると話されていました。現在でも、このような北と南の共通性は、これからお話しするように、ゲノムのデータで確認していますので、近似的にはこれは正しいということがいえるかと思います。
ということで、上の『ヤポネシア人の二重構造』は、2017年に刊行しました私の本『核DNA解析でたどる日本人の源流』の中にある第4章の表紙ページです。左上がオキナワの人々、右上がアイヌの人々、そして右下がヤマト人ということになります。
●アイヌ人とその他とくくりがあるほど特徴的なアイヌ人
これは、ゲノムのデータが出てくる前に、非常に乏しい二十数カ所ぐらいの遺伝子をゲノムの中から調べまして、それで計算して推定した4集団の間の関係です。これは尾本惠市さん(東京大学名誉教授)と私の共著論文にあるのですが、尾本さんは本文を書き、私は計算をして刊行したものです。この中には、昔から使われてきたABO式血液型とかRH式血液型、あるいはHLAなど、当時いろいろ使うことができたものを全て使っています。
このスライドを見ますと、アイヌ人とその他というくくりがあることが分かります。つまり、アイヌ人が非常に特徴的なのです。ところが、もう1つの見方としては、本土人の右の短い水平な線で2対2に分かれます。つまり北のアイヌ人と南のオキナワ人に共通性があるように見えます。一方、本土人(ヤマト人)は大陸の人々により近く見えます。これは、ある意味で二重構造モデル、つまり北と南の人々はより縄文的な要素を残し、そして本土人(ヤマト人)は大陸からの人々がたくさんやってきたということを示すわけです。
ただ、オキナワ人のところが微妙で、オキナワの人から見るとアイヌ人よりも本土人の方が近いのです。つまり、このスライドの枝の長さを足していただくと、オキナワ人から本土人(ヤマト人)の方がアイヌ人より近いわけです。ところが、アイヌ人から見ると、やはりオキナワ人の方が遺伝的に近いのです。そういうことで、われわれは、二重構造モデルを支持すると論文では書きました。その後、10年以上たってようやく膨大なゲノムデータで、基本的にはこのパターンがやはり出てくることを示しました。
●ミトコンドリアDNA研究によるヤポネシア人の系統樹
ところが、そこにいくまでにはミトコンドリアDNAの研究があります。ゲノムのデータが多く出てくるのが、せいぜいこの10年ほどです。2000年にアメリカの研究者、日本の研究者、それぞれアメリカ政府、日本政府に、「ヒトゲノムが決定できました」と報告に行っています。ヒトゲノムは医療に大事ですが、自然科学の話です。それがなぜ政府の人が出てくるのでしょうか。それは、このために莫大なお金を使ったからです。当時の国家予算のかなりの割合を使う軍事費よりはずっと少ないですが、世界全体でおそらく軽く500億円、あるいは1000億円を超えるお金が使われたのではないかと思います。そういうことで、政府に、どうもたくさんお金をくれてありがとうございますと報告したわけです。
ところが、人類の進化を研究する人はそんなにたくさんお金をもらえませ...