●「神々の沈黙」と読み書きの普及
前回お話ししたように、神々がささやく世界が、今から3,000年以上前の時代にはあったのではないかと、私は思っています。しかしそれが、ある時期からそうではなくなってきて、神々があまり人間に語り掛けなくなってきました。
そしてこの過程に関しては、私は一つの仮説として、アルファベット、一神教、貨幣、そういったものが東地中海に登場してくる時期に、この神々のささやきが聞こえなくなる時期が来たのだと思っています。
これは非常に大きな問題ですが、世界史において多神教と一神教というものを考える上で、文字を書くようになることが人間にどのような反応を与えたか、ということが重要だと思います。文字を書くことは、われわれにとっては当たり前のことですが、人類の歴史を見ると、5,000年ぐらい前にようやく始まったわけです。つまり、くさび形文字やヒエログリフができて、それから漢字ができたり、インダス文字ができたりしました。そう考えると、せいぜい5,000年です。それも、最初はごく一部の人しか使うことができませんでした。今の日本のように、90パーセント以上の人が読み書きできるということは、人類史的な規模で見ると、とても異常なことです。
しかし、文字を書けるようになることがおそらく、神々の声が聞こえなくなることの1つの大きな原因であったと、私は考えています。文字の中でも特に、アルファベットの影響が大きいのです。アルファベットを使えばごく少ない文字で書けますから、多くの人が読み書きできるチャンスが増えてくるわけです。このことは、私が書いた『教養としての「世界史」の読み方』という本の中で、もう少し詳しく解説しています。
●「神々の沈黙」と一神教の登場
それから、そういった神々の声が聞こえなくなってきた紀元前1,000年前後に、例えばエジプトでは、アクエンアテンという一神教を初めて唱えた人物が登場してきます。
それから、その100年後ぐらいには、シナイ半島でエジプトを脱出したモーセがいわゆる十戒を授かって、ユダヤ教の出発点になる事件が起こます。実際にどの程度起こったかは別にしまして、その頃起こったといわれています。
このアクエンアテンとモーセの関係については、歴史家はほとんど否定していますが、何らかの関連があるのではないか、つまりアクエンアテンがいたエジプトを脱出してモーセがシナイ半島に移っていく、このことには何か関連があるのではないかと考える人たちもいます。
同時期にはアッシリア帝国ができますが、上の写真を見ると、アッシリアの王様の前に、一神教のユダヤ教の王がひざまずいているわけです。実は、『旧約聖書』の中にはユダヤ教の王様ないし指導者がたくさん出てくるのですが、図像史料はこれだけになります。この史料はどこにあるかといえば、ブリティッシュミュージアムの入り口近くのところにあります。『旧約聖書』の中にあんなにたくさんユダヤ人の王がいながら、図像史料は唯一これしかないという、そういう史料です。その中で、一神教のユダヤ人の王が、この中ではアッシリア王にひざまずいているという形で描かれているわけです。
●枢軸時代に世界史の中で重要な思想家たちが登場
この時代はまた、いわゆる「枢軸時代(Achsenzeit、アクセンツァイト)」と呼ばれています。これは、20世紀のドイツの哲学者カール・ヤスパースが使った言葉です。よく考えると、この紀元前1,000年期の特に前半に、世界史の中で重要な思想家たちがだいたい登場しています。
例えば、『旧約聖書』の中のエレミヤがいます。それから、ギリシアの哲学者でアナクシマンドロスという、地球の構造の問題について考えた人がいます。それから、いうまでもなく、南アジア、インドには釈迦がいます。東アジアでは、孔子が登場します。やがてギリシアではソクラテスが出てきて、ギリシアの哲学を大きく変えます。そして、その弟子であるプラトン、そしてアリストテレスが出てきます。つまり、ソクラテス、プラトン、アリストテレスというギリシアの一連の哲学者が出てくるわけです。このように、世界史的に見ても、現在に対する影響から見ても、大きな影響を持つ思想家たちは、ほとんどこの時代に登場しています。
実際に、釈迦の仏教が広まったり、それから、『旧約聖書』の聖人たちがいろいろな形でキリスト教やイスラム教に影響を与えたりしています。ヤスパースが枢軸時代と付けたのは結局、世界の思想の一番根本になるところがこの時代に形作られたからです。それがちょうど、この紀元前1,000年期の前半、つまり神々のささやく世界がだ...
(ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂天井画)