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アポロ計画をきっかけに思いついたディーラー作戦

経営者としての激動の人生(2)事業開始と経営の土台固め

三澤千代治
MISAWA・international株式会社 代表取締役社長/ミサワホーム創業者
情報・テキスト
対照的で刺激的な事業パートナーとの出会いは、起業・創業のカギを握る重大事である。そして、経営組織をどう考えるかにおいては、成功事例をたずね、思い切った変革を恐れない姿勢が功を奏する。(2018年10月2日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「経営者としての激動の人生」より、全5話中第2話)
時間:10:41
収録日:2018/10/02
追加日:2019/07/26
≪全文≫

●好対照のパートナーと事業をスタートする


 大学を卒業してから少し休養期間を置いたので、仕事に就いたのは2年ほどたってからです。誰とやろうかと考えていたところ、十日町高等学校の友人で、成城大学を卒業したばかりの山本(幸男)が、まだ就職を決めずにいました。そこで、私が技術屋、山本が得意の営業を担当する形で、一緒に仕事をするかと話がまとまりました。

 十日町は機(はた)の産地で、彼は繊維問屋の子息でしたが、私とは性格が正反対でした。私は結構せっかちですが、山本はのんびりしているのです。商売のやり方も、私はフローで回転の速いやり方がいい、山本はゆっくりストックのたまる仕事がいい。彼は酒が飲めて、歌がうまくて、ゴルフが上手。私はそれらが全部苦手。私が「痩せた女の子がいい」というと、彼は「ぽっちゃり太った女の子がいい」というぐらい、何もかも正反対で対照的でした。

 そこまで違う人間と一緒に経営をしていると、何か発言するときも常に「こう言ったら、山本はどう思うだろう」と、気がかりになってきます。彼の方もきっと「自分の考え通りのことを言うと、三澤はどう考えるかな」と思っていたでしょう。それが、会社をバランスよく回した原因の一つだったと思います。井深大氏と森田昭夫氏のような、本田宗一郎氏と藤沢武夫氏のような、そんな関係の二人で事業を始めたわけです。


●「無法建築」が打って変わって「38条認定」へ


 創業後しばらくは、トヨタのクラウン1台に5人乗れば社員旅行ができるような少人数で仕事を続けていました。ところが50棟ぐらい建てたころ、青い顔をして帰ってきた山本が、「建築届というのが要るそうだ」と言うのです。「われわれは建築届を出さずに、無法建築をしているらしいよ」という話なので、それはなんだ、と驚きました。聞けば、建築基準法というものがあり、法律に従ったものでなければ、建ててはいけないというのです。

 驚いて建設省へ行くと、「それは、そうだよ」という話になり、「どうすればいいでしょう」と尋ねると、「大学でつくった計算書を持って来れば、見てあげるよ」と言われました。建設省の指導課にいて時間を持て余していた係長が人柄のいい人で、「俺が見てあげるよ」と言ってくれたのです。

 日大では、就職できなかった私のことを先生が心配して、計算をしてくれました。その書類を持っていくと、「ああ、これでいい」ということになりました。

 建築基準法38条には「この章の規定及びこれに基づく命令の規定は、予想しない特殊の構造方法又は建築材料を用いる建築物については、国土交通大臣がその構造方法又は建築材料がこれらの規定に適合するものと同等以上の効力があると認める場合においては、適用しない。」とあります。

 今まで世の中になかったものができた場合、それが過去のものよりも優れていると証明されれば、大臣の認定により許可するということです。「木質パネル接着工法」は、1962年に戦後1号として認定されました。38条認定はそれほど多くはなく、例えば霞が関の三井の超高層1号(霞が関ビルディング。1968年竣工)、新宿の京王ホテルの超高層(京王プラザホテル。1971年竣工)などが認定を受けています。特殊なもので、過去のものよりいいものができたら認可する、特例措置のような認可をいただいたのです。


●上場会社に追いつくための「アポロ」作戦


 5年ほどたって年末にびっくりしたのは、金庫に現金が残っていたことでした。自分ではずっと赤字だと思っていたのがお金が残っているから、これはもうかったのだろうと田舎の父親に電話しました。すると、電話の向こうから「馬鹿野郎、材木代を一銭も払ってないだろう」と言われました。5年間、材料費を一銭も払っていなかったのです。

 それで父親が送り込んできたのは、新潟の小さい銀行出身で総務経理を担ってくれる山田という若い青年でした。着任早々、「お父さんから、『年間1円でいいから黒字にしてくれ』と言付かりました」と言うのです。山本と私は「何だ、1円ばかりのことを、けちけちと」と怒ったものですが、それがきっかけで翌年からは黒字になりました。

 当時、プレハブ住宅業界では、大和ハウスも積水ハウスもすでに一部上場会社だったので、「えらいことを始めてしまった」という気もありました。大和や積水に追いつかなければいけないけれど、どうすればいいのだろうと考えている時に、アメリカがアポロ計画を発表しました。

 アメリカがソ連より優秀だというために、「月に人を送る」という計画がジョン・F・ケネディ大統領の決定により発表になったのです。これは破天荒な計画です。

 アメリカは大企業のひしめく国だと考えていた私は、どこかの大会社が入札して、国の予算を一手に受けて実行するのだろうと思い込んでい...
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