●農業革命が本当に恩恵をもたらしたのかどうかはよく分からない
次は農業革命です。これは定住生活をするようになって、食糧を自分たちで作るようになる時代のことです。農業革命以前の狩猟採集生活は、実はそれほどみじめなものではありませんでした。楽ではありませんが、多様なものを臨機応変に捕まえて、栄養的にはバランスの取れた食生活を送っていました。運動も頻繁に行って、栄養的には豊かで健康的な生活だったのです。
それが、さまざまな理由はありますが、およそ1万年前に農耕と牧畜、定住を人類は選択して、そうした生活形態が全世界に広まっていきます。そうすると、豊富にカロリーを摂取できるようになり、人口が増えました。小麦や米は保存が可能なので、カロリーとして毎日摂取できるエネルギーの総量は増えたのです。ところが、少数の種類の食べ物、例えば米ならば米だけに特化した食事が中心となるので、栄養が非常に偏ります。ですので、この時期の食事は、エネルギーは豊富でも、栄養バランスはあまり良くなかったのです。こうした栄養バランスの悪さは、骨などに影響が出ていて、農業が始まった以降の骨で健康的ではないものが多く残っています。
加えて、多くの人が密集して暮らすようになることで、感染症などのリスクが増えました。このような意味で、農業革命が本当に恩恵をもたらしたのかどうかはよく分からないと書いてあります。
●農業革命が人類にもたらした良い側面と良くない側面
私が非常に重要だと思うのは、「計画可能性」です。農業や牧畜の場合、自分で穀物を作り、自分でそれらを管理することで生計を立てていました。この意味で、自然に存在するものを探して、取りに行き、取れたらバンザイ、取れなかったら空腹を我慢するという、計画や予測がほとんどできない世界とは大きく異なるのです。農業革命によって生活が予測可能、計画可能になったので、勤勉に働く必要が出てきました。また、将来に関する不安が可視化されるようになりました。
狩猟採集社会では自然現象に追いつくことだけに着目するので、自分たちで生活をコントロールすることはなかなかできません。一方、農業や牧畜社会では自分で管理するので、「来年の春には何をしなければ」など、少し先の時間軸まで予測可能、計画可能になりました。つまり、逆に「来年こうなったらどうしよう」という不安が出てきます。狩猟採集生活者は「来年シカが取れなくなったらどうしよう」などとは考えません。どこかにまた移動していくか、シカが取れなかったら鳥でも取ろうなどと、その場その場で判断していました。対して、農業が発展する中で、将来に関する不安が初めて具現化したのです。
もう一つ大きな変化として、富の蓄積ができるようになったことが挙げられます。米や小麦、羊の蓄積が可能になるのですが、そうなるとその恩恵を全ての人が平等に受けるのではなく、少数の人間が独占して、それ以外の人を抑圧するようになります。そういう少数の上層階級が現れ、富の独占によるヒエラルキーと不平等が顕在化してきました。
このような過程の中で、以下のようなサイクルが形成されます。まず、カロリーとして摂取できるエネルギーが多いので、多くの子どもが生まれて人口が増えます。人口が増えると、より多く働かないと食べていけません。せっかく蓄積ができ、うまく余裕ができたかと思ったら、多くの子どもが生まれたので、もっと食べさせないといけません。もっと食べさせようと一生懸命働くと、少数の特権階級がその余剰分を持っていってしまうのです。
「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり(ぢっと手を見る)」といったのは石川啄木ですが、そのようなトラップに陥ってしまったので、農業は実は非常に良くない“毒まんじゅう”なのかもしれないと書いてあります。面白い考察だと思います。
以上のように、多くの人が集まり、みんなで暮らして社会をつくる中で、偉い人や強い人が富を収奪していくという構造が形成されました。それらは税金のようなものだったので、それを記録する必要が出てきますので、官僚制が始まりました。その結果、ものを記録するための言葉、つまり書字言語体系が発展しました。
書字言語体系の発展によって、いわばメモリを外側に置くことができるようになり、データが拡大しました。データが拡大することで、細かいことができるようになり、税金や官僚のさまざまな記録が始まったのです。この発展はヒエラルキーを生み出すとともに、そのヒエラルキーを維持する仕組みを実現しました。家父長制などもこうした過程で出現したのではないかといわれています。
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