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和漢洋の知を複合的に捉えるための読書

読書とは何か(5)和漢洋の知を複合化し現代に活かす

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
永井荷風
江戸伝来の知の伝統を再び見直し始めたようにみえる現代日本。和漢洋の教養を身につけ、複合的な知のあり方を示してくれる先人を例にとり、読書とは何か、何を私たちにもたらしてくれるのかを読書の喜びとともに山内昌之氏が語る。(全6話中第5話目)
時間:12:21
収録日:2014/05/22
追加日:2014/08/07
タグ:
≪全文≫

●私たちの文化のバックグラウンドを形成している古典


 今、私たちの教養や本の読み方というのは、実は日本人が気がつかないうちに、相当に偏ったものになっているのではないかというのが、私の不安でありました。

 今は教育カリキュラムのせいもありまして、小中学校や高校においては、ますます古文や漢文が軽視されるようになってきています。つまり、日本語の文化の世界をつくってきた私たちの古典というものに対する関心が、低まっているのです。

 英語などを通してアメリカの文化や食生活、あるいはバーボンやイギリスのスコッチ、フランスのシャンパン、そしてワイン、こうした普段私たちが接しているものとの関係で、英米仏などヨーロッパやアメリカとの関係が近くなったのは、大変喜ばしいことです。

 しかし、同時に、そして歴史的に、私たちの文化のバックグラウンドには、先人たちがこういう日本語の古い格調の高い文章、古文、あるいは中国に由来する漢文から多くを受けてきたという事実があることを、忘れてはなりません。


●大切なのは、正しい日本語を使おうとする努力


 私も中学校の頃に、現代語や現代文、あるいは国語という授業があったときに「なぜ日本人が自分たちの国語をそんなに勉強しなければいけないのか。普段こうやって話しているではないか」と、先生に聞いたこともありますし、何となく反発もしました。私と同じように、何かいつも文法を勉強したり、あるいは本を読むということを強制されるような感じがして、ちょっと瞬間的に嫌な気分になった経験を、かなりの人が持っているのではないでしょうか。文法の何段活用などは、あまり真面目に勉強しなかったような記憶をお持ちの方も多いと思うのです。

 しかし、文法をきちんと知って、書物などによって得られた正しい単語と正しい文法の活用から成る日本語と、普段から私たちが親しい友人や家族、あるいは気の置けない仲間たちとしゃべっている言葉は違うものです。普通、私たちは、官庁や企業の中で会話したり、仕事をしたり、外交交渉や商談をするときには、そういう言葉は使いません。

 ですから、私たちは、それなりに社会人になりましても、正しい日本語を話すという努力をどこかで持ち続ける必要があるのです。


●誇るべきは、和漢洋の教養に秀でた先人の文化的香り


 私は、20世紀後半の日本の現代文学などを数々読む中で、20世紀の日本人が森鴎外やあるいは夏目漱石などの文学に親しんだように、おそらく21世紀の日本人もまた、こうした日本語の正しい伝統を新しい状況に対応させながら受け継いでいくのだと思います。

 私の経験や私の限られた体験だけで申しますと、私もこうした漱石や鴎外たちの文章から多くを学びました。特に何を学んだかと言うと、よく和漢洋と言いますが、純粋な大和言葉は日本語の古典、それから中国に由来する漢語の表現、またこれら和漢の素養に加えて、鴎外であればドイツの文化的なバックグラウンド、漱石であればイギリスというバックグラウンドを持っていました。こうした外国、特に西洋に対する相応の知識を持つということを、この二人の巨人から学んだのです。私の場合、幸いに、専門がその三つのいずれでもなく、さらにイスラームという世界に専門を求めたために、イスラームやアラブ、トルコ、イランの古典や教養からも多少は勉強することができたことは、まことに幸いでした。

 いずれにしましても、私たちは、こういう先人の文化的な香りというものから多くを継承するということを、誇りに思うべきです。


●日本文化に親しむことの重要性を説いた永井荷風


 永井荷風は、私の好きな作家の一人です。荷風の代表作に、『墨東奇譚(ぼくとうきたん)』や『つゆのあとさき』があります。

 明治維新以降、薩摩や長州の侍たちが江戸に入り、東京と名前を変えて、新しい文化をつくり出しました。その文化は、近代化や産業化を進めていく上で大変好都合な面もありましたが、同時に、古い日本人の持っていた江戸文化、伝統を否定してしまったという傾向があります。永井荷風はこうした傾向に対してすこぶる批判的でした。江戸伝来の趣味が、地方からやってきたこの薩摩や長州の武士たちによって打ち壊され、それによって明治というものがつくられたと考えており、明治のそういう良い面と悪い面を非常に厳しく分けて見ているのです。『墨東奇譚』や『つゆのあとさき』は、そういった荷風の気分をよく表しているものです。

 『あめりか物語』『ふらんす物語』といった本を書いていますように、荷風自身はフランスとアメリカへの留学あるいは遊学などを通して、フランスをはじめとするヨーロッパやアメリカについても十分な知識を持っていましたが、同時に彼の漢文やあるいは日本の文化に対する教養も、大...
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