●パワーか正義か、リアリズムかリベラリズムか
今回が、「国益」に関する講座の最終回となります。これまで、国益とパワーの関係を考えてきましたが、最後に、価値(道義)の問題を考えてみたいと思います。
国益をめぐる対立や紛争をどう解決するのか。世界大戦は大きな転機となりました。平和のための知的探求と議論が重ねられ、政治や外交にも反映されました。そこでは、人間性を論じる視点の違いから、理性(つまり、法や道義)を重視するリベラリズム(あるいは理想主義)と権力欲(パワー)を重視するリアリズム(つまり、現実主義)が対峙してきました。
リベラリズムは、国際法や国際世論による平和の実現を目指し、リアリズムは国益とパワーを国際関係の重要な決定要因と位置づけ、勢力均衡による国際秩序の安定を説いてきました。リアリストの主張する通り、道義で平和が実現できるわけではありません。したがって、道義に過大な期待を抱くことは禁物ですが、道義を無視して国際秩序を語ることもできません。
現実主義国際政治学の開祖とも言われるE.H.カー(1892-1982)も、名著『危機の20年』(1951年)で理想主義(つまり、彼のいうユートピアニズム)を批判的に論じつつも、「力の要素を無視することがユートピア的であるように、およそ世界秩序における道義の要素を無視する現実主義も非現実的なリアリズムである」と指摘し、「政治行動は、道義と力との整合の上に立って行われるのでなければならない」と述べています。
つまり国家は、国益とパワーという要素だけでその行動を決定しているわけではないのです。こうした認識に立って、国益とパワーと道義の関係について論じてみましょう。
●パワーの道義に対する優越性
第一に、パワーの道義に対する優越です。
アメリカのウィルソン大統領が、1919年2月のパリ講和会議において、「国際連盟の道徳的価値にまず最初に、そして主に頼ろうとするのである」と述べたように、ヨーロッパを殺戮と破壊の戦場に変えた第一次大戦を経て、国際秩序は、パワーではなく、道義(正義)によって再建されようとしました。しかし、道義を掲げた国際連盟は大国の参加を欠き、力を結集できませんでした。アメリカは不参加、日独伊が脱退し、ソ連は遅れて参加しましたが、その後脱退し、大戦勃発の39年の連盟理事会には英仏しか残っていませんでした。現実の権力政治の暴走を止めることはできず、20年足らずで幕を閉じたのです。道義という価値のパワーへの敗北でした。
パワーの劣る小国は正義で抵抗してきましたが、力の前では正義も空しく響きます。徳富蘇峰は、三国干渉に対して、「力が足らなければ、いかなる正義公道も、半文の価値もない」と述べて、日本の「強兵」の必要性を説きました。
国際社会では、裁き(正義)は勝者によってなされ、ルールは大国によってつくられてきました。
極東国際軍事裁判(東京裁判)は、罪刑法定主義に反する事後法の遡及適用や戦勝国判事のみによる構成などから、「勝者の裁判」と批判されてきました。しかし、日本はサンフランシスコ平和条約(第11条)によって同裁判を受諾しており、国と国の関係において異議を述べる立場にはありません。同条約を締結することで敗戦国日本は国際社会に復帰することができたのです。ここにも国際政治の現実があります。
正義(国際法)はパワーの大小にかかわらず、公平に適用されるべきですが、大国は国際法よりも権力政治を選好しがちです。国際法を履行する場合でも、義務によってではなく、国益に資するか否かによることが少なくありません。それは望ましいことではないのですが、かといって、この国際社会の現実から目を背けるわけにはいきません。トゥキディデスが「歴史」で伝えているように、「正義は力の等しい者の間でこそ裁きができる」との指摘は何も古代ギリシャに限られた法則ではないのです。
●道義(正義)の国益に対する優越性
第二に、道義(正義)の国益に対する優越についてです。
1940年、ドイツの侵攻を受けたフランスでは、ペタン元帥を首班に国家と国民の生存と安全のためにヒトラーの支配に隷属するビシー政権が樹立されました。これに対し、ド・ゴール(戦後の第18代フランス大統領)は亡命したイギリスで自由フランス政府を樹立し、祖国の自由のために最後まで戦い抜く道を選んだのです。
ペタンが「肉体的生存」を選択したとすれば、ド・ゴールは「精神的生存」を選択したといえるでしょう。また、ペタンは「安全と平和」を選択し、ド・ゴールは「正義」を選択したと言えるかもしれません。道義は時に国益よりも重いのです。
国家が脅威に直面した時、自由といった道義と平和といった国益の両立...