●変化から不変なかたちが見えてくる
われわれが普通に部屋にいるときのことを考えてみると、部屋は実は多数の面のレイアウトからできていますから、その面のレイアウトが眼の周りに包囲光の構造をつくります。
1つの面は1つの立体角をつくっていて、知覚者は立体角で埋まった球状のものに覆われています。
そのようなものの中で知覚者が立ち上がると、動かないときにできていた構造が崩れて変化が起きます。変化が起きたときに、包囲光の構造をつくっているものの不変な性質、例えば針金をぐにゃぐにゃに動かして静止してみせると、パースペクティブな遠近構造が見えるので、そこに何かが見えます。しかし、3次元に曲げられているような場合には、平面的なフォルムは見えるけれども、どんなシェイプかは見えません。そこで、針金全体をぐるっと回すと、どのような立体的な形(シェイプ)かが分かります。
身体に関しても、(座っている状況から)立っている私の全身というものは想像するしかありません。このサーフェスが今、私を見ている皆さんの視覚の包囲光に、ある立体角をつくっているのですが、私がちょっと回って向きを変えたりすると後ろのレイアウトが見えてきて、「佐々木はどんな全身の形をしているのか」ということが分かるようになります。
これが「変化から不変を見る」、ギブソンの言葉を使うと「formless invariant(かたちのない不変なこと)」で、変化から見えてくるということです。私たちはこういう世界のリアルな姿を見ているということになります。
●遮蔽のへりの変化が情報となる
もう少し踏み込んで、何が一体そのようなことを可能にしているのかということを考えてみます。
ギブソンは、それは「面の境界での肌理(きめ)の置き換わり」がそのような変化から不変を見るということを可能にしているのだ、と言っています。
そのことを示すためにギブソンがつくったビデオがあります。
皆さん、今、画面の左側にあるサーフェスの下に右側のサーフェスがすべり込んでいく所をご覧になったと思います。実はこれは、2つのサーフェスの右面の左端を0.4ミリずつ削除して、1秒間24カットつくったのです。それをつなげて流すと、右の面が左の面の下に滑り込んでいくのが見えたわけです。すなわち、遮蔽のへりで起こる変化が、2つの面の間に何が起こっているかということを特定する情報になるということです。
もう一度見てください。つまりこれは、すべり込んでいくのではなく、カットしているのです。これを「遮蔽のへり(occluding edge)」といいます。例えば、ここに手が2つありますが、手を近づけて重ねるようにしていくと、片方の手がもう片方に遮蔽されて、後ろに隠れていくのが分かります。
今度は腕時計を例に説明すると、腕時計を縦に持って回転させると片側の面が反対の面を隠していって、新しい面が見えるようになります。手でも頭でもそうです。面と面のレイアウトのところで、ある面が他の面に隠されていきます。そういうことが情報になっているのです。
●遮蔽のへりで起こる変化で全体像が分かる
ここに角張った地面があるとします。面のつながりが図のように角の場合は、遮蔽のへりは非常にシャープに変化します。それに対して右側の図のようにつながりが曲面の場合には、遮蔽のへりはラウンドします。
また、左図のように多面体の場合には、シャープな遮蔽のへりが何回も現れるので、現われた回数によって面の数が分かります。球の場合には、遮蔽のへりはずっとラウンドするだけですから、そのことで球と分かるということです。このように、レイアウト同士のテクスチャーの削除、テクスチャーが転化していくそのへりで起こる遮蔽の関係によって全体が分かります。これが「視覚の原理だろう」と言ったのです。
●遮蔽を越える、これが視覚の本質
ギブソンは自分の視覚論のことを「遮蔽光学」と呼び、次のように言っています。
「地面の上には多数の物(山、大木、建築物など)が散在して、その先の見えを遮蔽している。ヒト、動物は、今見えている面のレイアウトが隠していること、その後ろにあることを知りたくて、物の隙間を移動する。視覚の本質とは、物のレイアウトによる遮蔽を越えることである」
われわれはこうして普通にしていると、常に何かが遮蔽して...