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世界最強のグローバル企業へと成長したトヨタ、苦難の歴史

戦後復興~“奇跡”の真実(13)豊田喜一郎とトヨタ自動車2

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
概要・テキスト
松下電器産業と同じく、トヨタ自動車も戦争に翻弄された。戦時中には軍の要請で不本意なものをつくらされ、さらには空襲の被害も受けた。戦後は財閥解体の直接の対象とはならなかったものの、資金繰りに行き詰まり労組との激しい対立も経験した。こうした辛酸をなめながらも、豊田喜一郎をはじめとした経営陣たちは復興に全力を尽くし、朝鮮戦争に伴う特需という機会を生かしてグローバル企業へと成長していった。(2019年7月23日開催島田塾会長講演「戦後復興:“奇跡”の真実」より、第13話)
時間:10:23
収録日:2019/07/23
追加日:2019/09/17
≪全文≫
※以下、本文は講演資料に基づいた形になっております。動画と合わせてご利用ください。

●産業界の経験から学ぶこと

(6)異様な軍需生産
ー軍需生産の拡大ー自動車はつくれず。
ー政府のフル操業司令。
・開戦直前、1941半ば、政府は操短からフル操業を司令。12月生産台数2060台 で最高。品質無視、エンジンは標準形式のみ。ヘッドランプ1個。ブレーキ後輪だけなど。Kは自動車生産への情熱、興味失う。
ーへんなものをつくらされた。
・(英二)軍の要請で、水陸両用車も。砂浜上陸のために四輪駆動。試運転結果は上々。
・自動車のエンジンを使ったボートも。ベニヤ板の無人ポート。爆薬を積んで敵艦に ぶつける。月産2000台。1万くらいつくった。23ノットスピード、米軍が海に丸太を放り込んだので、目的果たせず。今思うと変なものばかり作らされた(英二)。
ーB29が飛来。
・1944.11.24. 約70機のB29が初めて東京を空襲。空襲は、名古屋、大阪、神戸などに拡大。 1945.3.10 東京大空襲でトヨタの芝浦工場焼失。
・(英二)B29は挙母工場を無視して名古屋に向かうが、工場の隣に陸軍の演習場。
当たりもしないのにB29に向けて発砲するので、挙母工場事務所が機銃掃射。肝冷やす
ー玉音放送:皆の反応。
ー8.15正午、天皇の詔勅。「玉音放送はなかなか末端まで伝わらず、3時頃まで被曝の破損片付けなどの仕事」
・(英二)天皇の放送。Kの隣に陸軍中尉の監督官。放送の内容がわからず「陛下は何をおっしゃったのか」と聞いてきたので、「戦争はやめた」と言われたと教えたら プーッとふくれて自室に。
ー赤井副社長の演説。
・8.16 昼過ぎ、赤井副社長が幹部を食堂に集めて演説。
「日本は戦争に負けたが、5年もすれば元に戻る。トヨタが仕事としているトラックは戦争中も必要だったかもしれないが、これから日本を復興する際にも重要な道具。トヨタはそれを作って供給する責任。そのつもりで再出発しよう」
赤井さんの演説で皆やる気が出てきた。

(7)占領下の対応と混乱
ー食うための瀬戸物、ちくわ、ドジョウ養殖、鍋釜。
・Kは東京の自宅。次男の達郎と玉音放送を聞いた。Kが会社に現れたのは8月末。2週間考えた経営方針伝えた。→できることは全てやって食い繋ごう。
・Kは、軍需産業指定だった自動車会社には占領軍も操業を認めないだろう、と。いずれ認められるまで従業員含め食いつながなければな...
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