●54歳春、言行一致の一念で松下電器を退社し、独立
上甲晃です。よろしくお願いします。
人生、齢を重ねてまいりまして、自分の人生を振り返ってみると、やはりあとから振り返れば“あれが大きな転機だな”と思うときがあります。
私にとっては、54歳のときに松下電器産業(現パナソニック)を辞めて独立をしたのが大きな転機ではないかと、今考えると、しみじみそう思っております。
私は、縁がありまして松下電器という会社に入ったのですが、40歳のときから、松下政経塾というところで、松下幸之助さんの思いを受けて、人を育てる──特に政治を中心とした指導者を育てる仕事をしてまいりました。私が14年間、政経塾で仕事をしてきた中で、いろいろなことを伝えてきたように思いますが、究極はこの1点に尽きるのではないかという一言があります。
それは「己の損得を超えろ」という一言ではなかったかと思います。私が14年間松下政経塾に入ってきた塾生諸君に繰り返し言い続けてきた言葉は、この一言ではなかったかと、今しみじみとそう思います。
特に、政治を目指す人は、地位や役職、あるいは名誉、そういうものに対する執着心が非常に強いので、「己の出世ばかり考えるな、己の栄達ばかり考えるな」ということを、繰り返し教えてきたような気がいたします。
その私に、松下電器の本社に帰ってこいという転勤の命令が下ったのは、ちょうど平成7年の夏でありました。松下政経塾に行ってもう14年にもなるし、松下電器の社員がいつまでも松下政経塾の運営をしているというのも好ましくないだろうということもありまして、松下電器の本社に帰ってこいという転勤の命令が下ったのでした。
松下電器の同期入社の面々がその話を聞いて、私に次々と連絡してきました。「本社に帰るらしいな」「お前、運がいいな」というように皆は言ってくれました。なぜ運がいいかと聞きますと、私たちは昭和40年入社なのですが、昭和39年に入社した人までがもう役員になった。今年はわれわれ40年組に役員の椅子がめぐってくる。そういうタイミングで外から帰ってくるのが一番有利だ。事実、私の前任の塾頭も、ちょうどそのぐらいの年齢で松下電器に帰って、役員になりました。そういうわけで、同期の連中は、「お前、同期の出世競争の先頭に立ったな」というように言ってくれました。
私もサラリーマンです。思わずぐらぐらっと惹かれたことは事実であります。ですが、その次の瞬間に気がついたことは、私が14年間言い続けてきた言葉とは、いったい何だったのか、ということです。
私が14年間塾生諸君に言い続けてきた言葉、あるいは、伝え続けてきた言葉は何だったのだろうと振り返ったときに、「己の損得を超えろ、自分の出世ばかり考えるな」という一言が、このとき私自身に大きく覆いかぶさってまいりました。
そのとき、しみじみと分かったことがあります。人の上に立つ人間にとって、あるいは私のように人を導く仕事をしている人間にとって、一番恥ずかしいことの一つは、“言っていることとやっていることが違う”ということだと、私はそのとき気がつきました。人は誰でも言えるのです。偉そうなことも、立派なことも。ですが、部下も世間の人も、その言葉をもってその人を信じているのでは絶対にありません。
人はどういう人を信じるのかと言ったときに、他人に求める限りは自らやる、言っていることとやっていることが一致している、そういう人を人は信頼し、また、ついていくのではないか。また、人を教育できるのはまさにそういう力ではないか。ということを、私はそのときしみじみと感じたのです。
そのとき、私は自分の14年間が無駄にならないためにも、この一言に人生を懸けようと思った一言がありました。この一言に自分の人生を懸けよう、そのためには全てを捨ててもいい。そう覚悟を決めて、たった一つの言葉に人生を懸けようと思いました。その一言とは何か。
「あいつ、本気だったんだな」
これです。この「本気」の一言に自分の人生を懸けようと思いました。「自分の出世ばかり考えるな、自分の名誉ばかり考えるな、自分の栄達ばかり考えるなと、あれほど偉そうなこと、立派なことを言ってきたけれど、あいつは本気だったんだな」と。その「本気」というものを行動で示さなければ、私は自分の14年間が無駄になると考えて、一大決心をしました。「松下電器を辞めよう」と。
松下政経塾の人は、教育、学びには松下幸之助さんからいただいたお金を使わせていただいていますが、選挙のときにはびた一文応援をしてもらわない。裸一貫自分で這い上がるというのが大原則であります。
ですから、松下政経塾の人は、選挙のときに松下グループからお金をもらったり、あるいは、組織...