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キェルケゴールの思想…野生の鴨の教えが実存主義を生んだ

野鴨の哲学~安楽から離れ自分自身を生きる(1)自らの主体で生き抜いたキェルケゴール

行徳哲男
日本BE研究所 所長
情報・テキスト
雪のコペンハーゲンで、42歳という若さで野垂れ死んだ実存哲学の創始者・キェルケゴール。その哲学の根底には、彼が少年時代に実際に体験した自然からの教えが宿っていた。感性論哲学で各界著名人に多大なる影響力をもつ行徳哲男氏による「野鴨の哲学」とは?(全3話中第1話目)
時間:12:15
収録日:2014/02/26
追加日:2015/01/06
≪全文≫

●スキャンダルまみれの哲学者・キェルケゴール


―― 実践的哲学の行徳哲男先生に、キェルケゴールの「野鴨の哲学」について教えていただくということで、よろしくお願いします。

行徳 デンマークの首都にコペンハーゲンという街があります。1855年の11月、この街にたいそうな雪が降ったわけです。そこで、街の人はシャベルを持ち出し、雪かきをしていたのですが、その雪かきに人が引っかかったのです。皆で掘り起こして病院に担ぎ込んだのですが、誰もこの人間の世話をしようとはしなかった。「あんな野郎はまっぴらごめんだ」と。なぜこの人物がそれほどまでにデンマークで嫌われ者だったのか。

 一つには、この人物、すなわちキェルケゴールにはスキャンダルがあったからです。そのスキャンダルというのは、レギーネ・オルセンという女性とのスキャンダルです。この子は、もともとその当時の大蔵大臣、そして国立銀行総裁の娘です。しかし、このキェルケゴールは、この子に恋い焦がれたのです。

 彼は、もうあらゆる手段を通してこの子と婚約までこぎ着けるのですが、さて、婚約はしたものの、一体その結婚とは何なのか、人生とは何かを思い詰め始め、実はこの婚約を平気で破棄してしまいました。それで、激怒したのがこの子の父親だった大蔵大臣です。この父親は、すぐに娘を海外に行かせて、自分の銀行の部下と結婚させたのです。しかし、もうこのスキャンダルは、ふらちな人間としての烙印をキェルケゴールに押したわけです。


●「何となく」を徹底排除し、一度しかない人生を生き抜く


行徳 そして、決定的にこの人物・キェルケゴールをデンマーク中の嫌われ者にしたのは、『瞬間』というビラでした。彼は、日曜日になりますと教会の前に立つわけです。デンマークは今でも宗教国家ですが、国が教会を建てています。確か、牧師の一部は公務員です。その国教を彼は攻撃したのです。

 彼は、日曜日の朝になりますと教会の前に立って、この『瞬間』というビラをばらまきます。このビラで彼は何が言いたかったのか。それは、「あんたたち、月曜日から土曜日まで、ぼんやり生きてこなかったか」というものでした。何となく朝起きて、何となく朝飯を食って、何となく仕事に出かける。そして、何となく仕事を終えて、家へ帰ってくる。何となく家族が語らい、何となく晩飯を食って、何となく床に入る。

 何となく生きるということは、犯罪ではない。しかし、明らかなる罪だ。なぜなら、生きるということはたった一度しかない、人生にやり直しなどない、リハーサルはないぞ、とキェルケゴールは言ったのです。そのたった1回しかない人生なのに、月曜日から土曜日まではあいまい、ぼんやりの中を生きてきて、日曜日になったらのこのこと教会に出てくる。そこで、アーメンを唱え、十字を切り、讃美歌を歌い、そして牧師の話を聞いて、ぼんやり生きたことの罪はもう許してもらえたと錯覚して、また月曜日からおよそぼんやり生きる。そのあいまいに生きたことの罪を許してもらわんがための教会の礼拝、そんなものはやめてしまえ、とやったわけです。

 こうして、キェルケゴールは国教を攻撃したわけですから、街を歩くと石を投げつけられるは、棒きれでぶたれたこともあったのです。しかし、彼は人からの攻撃を受ければ受けるほど、「私は紛れもなく生きている」という生だけを確かめながら、雪の中で42歳で死んでいった、それがいわゆるキェルケゴールの生きざまです。


●凄烈な野生の鴨の飛翔力


行徳 実は、このキェルケゴールというのは、母親が女中さんなのです。しかも、手籠め同然にはらまされた子です。だから、出生に秘密、屈折があるわけです。父親はそれを嫌がり、少年時代に彼を転地させました。それがジーランドの湖畔だったのです。

 キェルケゴールはずっとその少年時代をそこの湖畔で過ごしました。周りに湖があって、大変景色のいい湖です。その近くは、確かハムレットの舞台となったクロンボーの城があります。この大変にきれいな湖を見つめているときに、毎年決まって野生の鴨たちが翔んできて降りました。

 実はこの「翔ぶ」という字なのですが、これは「羊へん」に「羽ばたく」という字を書きます。ところが、これはスズメが飛んだとかカラスが飛んだ、というときには、この字はイメージできませんね。スズメなどというものは、一つの集落から次の集落まで行ったら、もう帰る力はないそうです。カラスですら、次の次ぐらいの集落からではもう帰れないそうです。そのような場合に「翔ぶ」という字は当てはまりません。

 そこで、一体その野生の鴨たち、このジーランドに翔んできた鴨も含めて、日本にも翔んでくる野生の鴨たちがどれぐらい翔べるのか。

 実は、NASAが確か6、7年前のことですが、大気の...
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