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歴史的急騰! 通貨ペッグ制度切り崩しの歴史を振り返る

スイスショックとユーロ安(1)スイスショックとは何だったのか

高島修
シティグループ証券 チーフFXストラテジスト
情報・テキスト
世界が狭くなった今、恩恵とともにリスクの波及も速くなった。「最も弱い環」は、しばしば犠牲にされるが、逆にそこから問題点が噴出することも多く、特にグローバル金融システムに関わる人々は、海の向こうの動静を分刻みで注視する。今回は国際為替相場のスペシャリストであるシティグループ証券チーフFXストラテジスト・高島修氏に、直接性が低いため日本人には見逃されがちな「スイスショック」の奥深い真実と、その余波について、お話を伺った。(全4話中第1話目)
時間:07:31
収録日:2015/01/23
追加日:2015/01/28
≪全文≫

●動くヨーロッパの為替相場、連続講話のアウトライン


 皆さん、こんにちは。シティグループ証券で為替相場のリサーチを担当しています高島修です。

 ヨーロッパの状況が大きく動いていますので、今日はそのことについてお話をしようと思っています。

 まず一つは、スイスショックです。これによってスイスフランだけでなく、金融市場や為替相場も非常に大きく動きましたので、それについてまとめると同時に、ユーロ圏においてECB(欧州中央銀行)の利下げが行われているので、その意義についても話していきたいと思います。

 構成としては、1点目が、スイスショックはどういう形で起こったのか、どういう影響を持っているのかについてです。2点目として、スイスが行ってきた対ユーロ通貨固定制度(通貨ペッグ制度)についてご説明しようと思います。3点目としては、スイスショック後のユーロ安と、2015年1月22日に発表されたECBの量的緩和が持つ意義について、お話ししていこうと思っています。


●欧州金融市場と為替相場を揺さぶったスイスショックとは


 まず、「スイスショックとは何であったか」という1点目のポイントからです。

 2015年1月15日、スイス中央銀行(SNB)が、2011年9月から続けてきたスイスフランの対ユーロ上限レートの撤廃を発表しました。

 1ユーロ=1.2スイスフランとされていた上限レートが撤廃されるとの発表により、為替マーケットでは急激なスイスフラン高とユーロ安が進みました。一時は1ユーロ=0.85スイスフランを記録するほどスイスフランの急騰とユーロの下落が急激に進みましたが、その後は安定を取り戻し、1ユーロ=1スイスフラン前後に落ち着き始めています。

 一方、対米ドルの動きで見ると、SNBの決定前は1ドル=1.02スイスラン程度で推移していました。これが瞬間的に0.75スイスフランあたりまでスイスフラン高が進み、その後は大体0.85スイスフランほどで安定しようとしています。

 スイスフランの上昇率についてはこの後に説明しますが、1日のうちに実に3割から4割という、記録的な上昇を見せているのです。


●通貨ペッグ制度の切り崩しを、歴史から振り返る


 今回のような通貨ペッグ制度の切り崩しは、通貨が売りによって安くなる方向では、非常に多くの前例があります。近年では、2002年にアルゼンチンでカレンシーボード制という一種の固定相場制度が解除され、崩壊する事態が起こりました。この時のアルゼンチン・ペソは、約半年間をかけ対米ドルで7割ほど下落しました。

 もう少し過去を振り返ってみると、1997年のアジア通貨危機の時には、タイバーツをはじめとした幾つかのアジア通貨が、米ドルペッグ制度を放棄せざるを得ない事態となりました。この時の対米ドル下落率は、タイバーツの例で見ると約半年で5割ほどです。また、1992年には欧州通貨危機が起こり、有名なジョージ・ソロス率いるヘッジファンドが、英国ポンドの欧州通貨への固定相場を切り崩しました。英国ポンドやイタリアリラなどが変動相場へ離脱することになったのは、これがきっかけです。この時の英国ポンドの下落率(対ドイツマルク・当時)は、半年ほどでおよそ15パーセントでした。

 さらにさかのぼると、1971年にはニクソンショックがありました。これ以前、アメリカの連邦準備銀行(FRB)にドルを持ち込めば金と交換できるという約束事があったのですが、アメリカのリチャード・ニクソン大統領(当時)が突然、「今後はアメリカのFRBにドルを持ち込んでも、金と交換しない」と宣言したのです。これが「ニクソンショック」と言われるもので、金ドル交換停止のことです。その後のスミソニアン合意で、米ドルの金に対する平価切り下げが行われます。この時の米ドルの平価切り下げ率(対金)は7.89パーセントでした。


●スイスフラン・ショックは、「通貨高」を歴史に刻んだ


 一方で、今回のスイスフランの上昇率は、先ほどお話ししたように1日で3割から4割でした。為替相場の変動としては、まさに「あり得ない」動きを示したと言っていいでしょう。

 その瞬間に「通貨高」という現象が、近代の通貨市場における歴史的な変化として発生したと言っていいと思います。このスイスフランのように、通貨が切り上がる方向での通貨ペッグ崩壊は、これまでにあまり例を見ません。

 近年、私が記憶している限りでは、2005年7月の人民元の対米ドル切り上げが例示できるぐらいではないかと思います。この時に人民元は対米ドルでどの程度切り上げられたかと言うと、2パーセントほどです。

 ですから、繰り返しになりますが、今回のスイスフランの3割から4割に達した急騰は、「歴史的」な通貨...
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