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危ない山があれば登りたくなる―ハウステンボスへの挑戦

「挑戦と失敗」で語る企業立上げと再生の物語

澤田秀雄
株式会社エイチ・アイ・エス 最高顧問
情報・テキスト
ハウステンボスのイルミネーション
株式会社エイチ・アイ・エス代表取締役会長・澤田秀雄氏は、証券会社社長やモンゴルの銀行の会長と多彩な顔を持つが、その華麗な経歴は「ゼロから立ち上げる事業」と「誰も手を出さない企業再生」の苦労で彩られている。今だからこそ語れる、澤田氏の本音の企業再生秘話。(2015年3月5日開催島田塾第122回勉強会澤田秀雄氏講演「挑戦する勇気、失敗する価値」より、全5話中第1話目)
時間:16:06
収録日:2015/03/05
追加日:2015/04/03
≪全文≫

●ゼロから事業を立ち上げる


 私の経歴はもうご存知だと思いますが、今までやってきたことを軽くさっと流す程度にお話ししますので、少しお聞きください。

 まず最初にエイチ・アイ・エスという旅行会社を設立しました。おかげさまで今、エイチ・アイ・エスは海外に180数カ店ありまして、これをなんとか1000カ店にしようということで、皆、頑張っています。

 タイには従業員が700人ぐらい、インドネシアには数百人います。今やアジアの方が発展していて、海外の店舗の方が国内で上げている利益を超えるのではないかというような状況です。国内には300カ店あり、売上で5000億円前後、一部上場させていただいています。今はもう経営は若い社長に任せています。これが、私がドイツ留学から帰ってきて二人から始めた最初の事業です。

 それから、ホテルを経営しました。当時バブルがはじけて、日本の企業は皆、撤退している時、オーストラリアに行きました。オーストラリアのホテルは、昔はほとんど日本人が経営権を持っていたのです。それがバブルがはじけてから皆が撤退していく中、私は土地を買って、ゴールドコーストにホテルをオープンしました。それもゼロからの出発で大変だったのですが、今、ホテルは10軒ぐらいあります。これが、ゼロから始めた事業の二つ目です。

 そして、いま話題のスカイマークエアラインを設立して、格安で旅客機をどんどん飛ばして、黒字にしたところでベンチャー企業に渡しました。そのベンチャー企業も順調に100億円以上の利益を上げるようになったのです。その時は円が高くて、1ドル80円ぐらいでしたから、利益も100何十億円か上がっていました。そこで、つい調子にのってエアバスをたくさんオーダーしたところで、急激に円安になってしまいました。飛行機というのは、大体ドル契約なのです。オイルもリース料も、何か買うときもドル契約です。円安で急激に120円になったので経営がきつくなったということに加え、LCC(格安航空会社)がどんどん台頭してきました。また、当時少し弱っていたJALもまた元気になってきて、競争が激しくなってきたのです。結果的に値段を少し上げましたら、今度は稼働率が下がるということになり、このままでは経営が厳しいのではないかということで、いま再生に入っています。


●最初の再生案件は、畑違いの証券会社


 ここまでは、全部ゼロから立ち上げた事業、何もなかったところから始めた事業です。ここからの話には、再生案件が入ってきます。

 当時、山一證券が倒産しましたが、その子会社の協立証券を「どうだ、やってみないか」と言われたのです。これまでの事業は全部、飛行機もホテルも旅行に関連するものでした。ですから、金融関連、証券会社ということで、さすがにもう、すぐに断りました。当たり前です。当時はベンチャーで、私もあれもこれもやっていて、あまり賢いやり方ではなかったので、本当に偉そうなことは言えないのですが。

 証券会社の方が来て、一回目は断りました。でも、その方は非常に熱心な方で二回目も来られたのです。その当時、9年間ずっと赤字の証券会社だったのですが、ただ、総合証券会社なので、「ぜひ、もう澤田さんだったらうまくいくから」と、本当にうまいことを言われまして、いま思えば若気の至りです。そうして、三回頼まれると私は「ノー」と言えないのです。三回言われると、つい「イエス」と言ってしまいまして、この証券会社はずいぶん苦労しました。

 今はエイチ・エス証券と言うのですが、最初から何十億もの黒字になったので、「こんなの楽勝だ」などと思っていたら、大変なことになり、それからずっと赤字が続いていたのです。ようやくここ2、3年は、やっと何十億の黒字になるようになりましたけれど。これはむちゃくちゃ苦労した案件の一つで、最初の再生案件でした。


●次々に舞い込む再生案件


 それから、手を貸したのがしなの鉄道の再建で、これは部下が社長として経営にあたったのですが、これも黒字にしました。その他、高速バス事業の相談も来て、今もエイチ・アイ・エスのグループ会社として運営しています。このように、いろいろな案件が来るのです。当時はもうヤケクソのようになって、どんどん受けろという感じでしたが、島田塾で勉強もしていますから、なんとかいけるだろうと思っていました。芦屋のマリーナジャパンも苦労しました。今はもう黒字になりました。日本一、二のきれいな芦屋のヨットハーバーです。いま考えたらいろいろなことをやりました。


●手腕を買われモンゴルの銀行再生の依頼も


 珍しい案件では、モンゴルの銀行があります。もう10年以上経ちますが、当時、モンゴルは社会主義から資本主義に移る時期で、直行便も飛びましたから、私たちが観光のために向こうに行ったのです。そう...
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