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雲の上の存在ではなく努力して到達すべき目標

「エリートになる」というモチベーション

齋藤ウィリアム浩幸
株式会社インテカー代表取締役社長/内閣府本府参与
情報・テキスト
日本は、エリート教育を誤ってきた。日本では、エリートが一般にはなかなか手の届かない「高嶺の花」になってしまっている。今の日本に必要なのは「やればできる、私も頑張ろう」というモチベーションだ。日本にはそのための条件が整っているではないか。内閣府本府参与・齋藤ウィリアム浩幸氏による、これからの「エリート」論。
時間:11:23
収録日:2015/02/19
追加日:2015/04/22
日本は、エリート教育を誤ってきた。日本では、エリートが一般にはなかなか手の届かない「高嶺の花」になってしまっている。今の日本に必要なのは「やればできる、私も頑張ろう」というモチベーションだ。日本にはそのための条件が整っているではないか。内閣府本府参与・齋藤ウィリアム浩幸氏による、これからの「エリート」論。
時間:11:23
収録日:2015/02/19
追加日:2015/04/22
≪全文≫

●エリート教育を否定した戦後日本


── どうしても齋藤さんに聞いておきたいことがあります。なぜ日本は、戦後にエリート教育を無くしたのか。あるいは第二次世界大戦、満州事変以降に、なぜ政府は私たちをこんな風に導いていったのかということです。日本はエリート教育を否定するわけです。陸軍大学も、海軍大学も、帝大も、高等文官の試験も、です。基本的に再独立した1951年のサンフランシスコ講和条約以降、エリート教育を否定した国だと思うのですよ。

 そういうエリート教育を否定することは、ある方向性に向かっていくことで自然と飯が食っていけるような平和な時代であればいいのです。しかし、今の世界情勢は、一歩表に出れば、サソリもいるし、狐もいるし、狸もいるし、毒蛇もいる、そういうグローバル社会です。戦ってポジションを取っておかないと、何をされるか分からない。そういうときに、ここまできれいにエリート教育をつぶしてしまってよかったのか。

 日本の場合、エリートといっても、たかが知れているではないですか。そういうエリートと、ホビーを三つ持つようなエリートは、リベラルアーツが全然違いますよね。まず哲学や歴史があって、そこが固まらないと政策も経済もしっかりしたものにならない。まずリベラルアーツをしっかり学び、宗教や民族問題もある程度のところまで勉強しておいて、ビジネス・スクールで経営を学んでください、ロー・スクールで、あるいはメディカル・スクールで勉強してくださいというやり方とでは、エリートを育てる構図が全く違いますね。

 文系の人たちは、ディスカッションの場になったとき、耐えられないでしょう。多分これは、言葉ができないという問題ではない感じが最近しています。もともとの、バックグラウンドの話ができないのです。宗教でいえば、例えばユダヤ教やイスラム教やキリスト教について、あるいは、なぜイスラム教がこれほどこんがらがった状態になってしまうのかという話ができない。そういうことの影響が大きいのではないかと思います。

 齋藤さんがたどってきた人生を見ていると、もう一回、日本のエリートをつくり直さないといけないと感じます。日本でエリート教育とは悪い言葉なのです。でもエリート教育をつくるぞという定義をちゃんとしないと、これから国際社会になったときに、日本は持たないと思うのですよね。そのあたりはどうでしょうか。


●エリートという目標をうまく売り出す


齋藤 教育で、無理矢理にでも格差が出ないようにするというやり方は、皆さんを非常にうまくだましていますよね。エリート教育といった場合、何に対するエリートかというところにフォーカスし過ぎた印象があります。日本でエリートといえば、官僚をつくろうということです。そうではなく、エリートという枠をつくって、その人たちが企業を始めたり、アーティストになったり、あるいは、野球選手になったりしてもいいのです。そういう層を全て上げていくという考え方をしていないのです。これは売り方の問題だと思います。

 私はシンガポールの科学技術庁の委員もしていますが、そこを見ていると、「うちは世界のベストを引っ張ってきて、エリートをつくるのが自慢ですから」と堂々と言っています。たまたまリー・クアンユー氏(シンガポール初代首相)と話していると、ちょうど経済大臣が来たので給料を聞いてみました。すると一億円なのですね。ある人が見たら「格差があるから仕方がない。うらやましいね」で終わりなのですが、他の人から見たら「私...
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