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「官僚・実業家・政治家」三拍子そろった超絶指導者・原敬

ジェネラリストの巨星・原敬

齋藤健
衆議院議員 経済産業大臣
情報・テキスト
近代日本人の肖像
「歴史は必然の流れ」とするヘーゲルやマルクスに異を唱え、「優秀な人間が徹底的な努力をすれば世の中は動く」と主張する齋藤健氏。『転落の歴史に何を見るか』の著者で、原敬を徹底的に研究し心酔する氏が、原敬が備えていた「最後の武士」のエトスと能力について熱く語る。
時間:10:35
収録日:2014/02/24
追加日:2014/02/24
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●官僚・実業・政治、三拍子そろったジェネラリスト


齋藤 原敬という人は、ジェネラリストの指導者であったわけです。

 まず官僚は15年経験して、今で言うところの外務事務次官まで、官の世界で上り詰めています。彼は実業界にもいたことがありました。古河工業の副社長や北浜銀行の頭取など、実業界でもトップまで上り詰めているのです。

 そして、さらに本業である政治の世界では、立憲政友会という政党の第3代の総裁になっています。政友会では、第1代総裁が伊藤博文、第2代が西園寺公望と、明治の大立者や文字通りのプリンスである貴族政治家が続きました。で、その後に賊軍である南部藩出身の平民が総裁になる。ということは、政治家としては上り詰めているだけでなく、超一流だったということです。


●メディア人としても一流、司法から方向転換し猛勉強で外交官に


齋藤 さらにマスコミの世界にもいて、大阪毎日新聞の社長を3年やっていたはずです。その間、売上を2~3倍に増やしたという実績があり、メディア人としても一流でした。

 彼がやっていないのは司法の世界です。ところが、実は彼が最初に目指したのは司法の道でした。現在の東大法学部の前身である司法省法学校に入るのですが、途中でギブアップせざるを得ないことになってしまう。

 その後彼は方向転換して、フランス語を勉強する。キリスト教の洗礼も受けるというすさまじい経験をするわけです。外務省時代にはフランスの公使館にも勤めました。そして、山縣有朋がパリに来たときには通訳をしていますから、フランス語もペラペラだったわけです。


●政治力と的確な政策を見抜く炯眼で、日本の転落を食い止める


齋藤 それだけ多方面の資質を備えた人が総理の職についていたときには、軍との関係についても、政治力をもってうまく抑え込むことができました。

 進むべき政策も的確でした。「これからはアメリカの時代だ。大事にしなければならない」と対米協調路線を主張し、「中国は支配してはならない。あくまでもビジネスで付き合っていくべき」と中国の植民地化を避けるという具合で、今の見地から見ても極めて的確な政策をやっていました。

 私のテーマに寄せて言うと、彼は日露戦争から太平洋戦争に至る歴史のちょうど真ん中辺りにいて、なんとか日本の転落を食い止めようと必死の努力をした人です。


●「優秀な人間の徹底的な努力」が世の中を動かす


齋藤 「歴史は必然で動く」という意見があり、マルクス経済学等ではそう主張しています。でも、原敬の生涯を見ている限り、「一人の優秀な人間が徹底した努力をすることによって、世の中は動く」と感じざるを得ないわけです。「優秀な人間の、徹底した努力」ということを、私は以前に書いた論文でも述べました。

 原の努力は、大局観の中で本当の正しい方向だったと思います。「軍を抑え、アメリカと仲良く、中国とはビジネス」。これを聞いただけでも、的確な大局観であることがわかります。そこには抵抗勢力もありましたが、持ち前の政治力や面倒見のよさで対応しました。歴史を繰っても誰にどういう面倒を見たか記録が残っている。そうやって自分が動かせる領域を広げていった。


●トップが的確な認識を持てば、危機的状況は回避できる


齋藤 すさまじい努力ですね。そして、「死んだら、“原敬之墓"とだけ書いてくれ」「位階勲等は一切要らない」と言って、平民として死んでいくわけです。

 本当に途轍もないスーパージェネラリストだったと思います。しかもゼロから出発して、そこまで到達しているのです。だいたい歴代の総理で、フランス語の通訳をできる人がいますか?その1点をとっても、すごいことです。

―― 当時はまだ新興国だったアメリカに対する的確な認識がすごいですね。

齋藤 「次はアメリカの時代だ」と見ていたのはすごいことです。例えばシベリア出兵から撤退を余儀なくされた非常に難しい仕事のときに、彼は田中義一という山縣有朋の子飼いだった人物を重用して、上手に軍を動かしていった。そのように、アメリカとの摩擦を避けるのが非常に上手だったのには、15年間の外交官歴も物を言っているのでしょうね。


●李鴻章と互角に渉り合った29歳の日本男児


齋藤 原は29歳(満年齢27歳)で天津領事に任命されています。当時としても若いと思うのですが、そこで李鴻章と渉り合っていく。李鴻章といえば、中国の政治家の中でも歴史に残るものすごい男です。その李鴻章と日本政府を代表して29歳の若者がやりあうわけです。その模様は公電に全部残っていますが、決して負けていない。

―― 29歳で、ですか?

齋藤 負けていない、負けていない。例えば李鴻章が「こういう公電を中国からもらって…」と説明すると、原敬の方は「それを見せてくれ」と迫るのです。李鴻章...
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